こばと文庫の「今月の本」

1998年の「今月の本」

2000年3月の本

 

 マーシャとくま


    ロシア民話
    ラチョフ・絵
    福音館書店

むかしから好きだった絵本の一つですが、近ごろ思うに、これは「山賊にさらわれた娘の話」ではないでしょうか。昔からこういう少女誘拐事件はいっぱいあったに違いない。日本の話に限っても、大江山の酒呑童子とか桃太郎の鬼ヶ島とか、さらわれてますよ、女の子が。世界各国共通 のテーマです。(サルだってやっている。)
おそらくこれは「ドロップアウトしてしまった場合の女性獲得の手段」として、DNAに書き込まれているんですよ。きっとね。
ところで近ごろ9年間もさらわれたまんまだった女の子が出てきましたね。
こういう場合、桃太郎や金太郎が助けに行くというのも大切ですが、やっぱり太郎クン達もそうそう都合よくは現われないし、稀には「桃太郎がイキナリ鬼に豹変」ということだって有りうる。なにしろDNAが犯人ですから、誰もが可能性を秘めています。
となると、やはり女の子の側の心がまえがものを言います。あの娘さんも、この絵本を読んで逃げ出す参考にすればよかったね。マーシャの、この柔軟さと、したたかさは生きていく上で必需品ではないでしょうか。
こんな風に大人が言葉で教えられない智恵を、昔話は蔵しています。
可愛い娘には、ぜひ、何度も繰り返し読んであげてくださいな。

2000年2月の本

 

 くろねこかあさん


    東君平 作
    福音館書店
幼少のみぎり、「はんかちさんベレーさんマントさん」という絵本を読んで以来の君平さんのファンです。ひかりのくにの絵本だったと思うのですが、今は手に入らないのですごく残念。
君平さんは絵にしても(切り絵ですが)、文章にしても、オリジナルな、誰にも真似のできない感じがあります。
それと「おかあさん」を題材にした絵本や童話には、「おかあさんはすごい」という気持ち、多分、自分の奥さんへの「苦労をかけてるなあ」というすまない気持ちとか、「よくやってくれてるなあ」という感謝や尊敬の念を感じます。自分のことを「ダメなおとうさん」と思っていたフシもあります。ある種、家族への不器用な愛情表現みたいなとこがあって、そういうとこも好きだなあ。
登場人物はくろねこかあさんと、こねこはくろねこ3匹、しろねこ3匹ですが、切り絵なので、しろいこねこ達は、実はくろいこねこを切り抜いた空白部分を再利用しています。同じ形をしているのに、黒と白で性格の違うこねこ達です。(でも、兄弟って、けっこうそうだよね。)

 

 やまのかいしゃ


    スズキコージ作
    片山健 絵
    架空社

ときどきこういう絵本をお父さんに大真面目に読んでもらったらオモシロイのではなかろうか…と思います。
だって、ねえ…、昔は子ども達はお父さんの働く姿を見るチャンスに恵まれていたじゃないですか。今はお父さんはカイシャに行ってしまって、子どもにとっては何をしているのか、さっぱり分からない。なかなか仕事の話も聞けないし、聞いてもチンプンカンプンだったりする。お父さんの気持ちに共感する機会もあまりないのは、ホントもったいないと思います。
「こんなトボケた会社には行ってないぞ!!」と思われるお父さんもおられるでしょうが、子ども達もそのことはよっく承知しています。大概は。
一家で大笑いして、みんなでワイワイお話しして楽しんでもらえればうれしいです。特に、小学生の子どもを持つお父さん、「読み聞かせ」お願いしますね。

2000年1月の本

 三びきのこぶた


    イギリス昔話
    瀬田貞二訳
    福音館書店

昨年は何だか、「本当は残酷な◯◯童話」の類が流行りまして、…実は、私、「だっさーい」とヒソカに思っておりました。それ、何十年前のネタ!? …って感じ。もう、見ていると恥ずかしくて恥ずかしくて、ちょっと勘弁してー!と…。 
…何だかね、子どもの頃にしでかした失態を蒸し返されたりした時に感じるような恥ずかしさなんです。それか数年前に流行ったよーなスタイルで、得々としているひとを見た時に感じるような…。(ファッションには私も疎いですが。)
小澤俊夫さんなどは、「昔話の価値も知らずに、いい加減なことを!」って感じで怒っておられましたが、研究者としては当然でしょうね。でも私は怒る以前に恥ずかしいよー。助けてー。勘弁してやー。
童話のパロディには、もっと良いのがあるのに、何故これが流行るのだー???
太宰治だって筒井康隆だって、もっとおもしろいの書いてたよ、確か。比較的新しいところでは、タニス・リーの「血のごとく赤く」なんていうのが綺麗でした。それからマンガなんですけど、星野之宣の「宗像教授伝奇考」なんかも白雪姫とか桃太郎とかの解釈は素晴しいね。他にもいいのは結構あった気がする。

どおしてそんなに残酷をクローズアップするのかなあ…。そして、何故それが売れるのかなあ…? 
大昔のグリム論争は、「こんな残酷な話を子どもに読ませていいのか!?」だったけれども、だからとりあえず、一応ポリシーはあったんだけど、今度のは違うのね。どういうことなのかねえ?

さて、昔話です。これはイギリスの昔話。確かに、なかなかシビアな結末なのですが、象徴ということが理解できなければ、そりゃー残酷に見えるだろうねえ。
でも、心の中で葛藤が起るときには、心の中のオオカミを退治しなくちゃ、自分自身が呑み込まれて大変なことになるんだよね。これがなあなあで仲良く終わった日には…、下手すると心理療法受けないといけませんよ。時々ニュースで報道される、信じられないほど幼い犯罪は、きっとこの辺の教育ができてないんだと思うんだけど…。大人が口で教えられる類のことではないんだな。
とりあえず、そういうことを教えられるのは、私の知る限りでは、昔話以外にないんですねえ…。できるだけ子ども達に聞かせてあげたいものです。
ださい流行はいい加減やめてほしいよね、社会の迷惑よ。

1999年12月の本

 ぐりとぐら

      中川李枝子 作
      山脇百合子 絵
      福音館書店

いきなり初心に戻って、「ぐりとぐら」の紹介などを…。 今さら何を…?と思う? でもね、だって私、感動したんですよー! 山脇百合子さんてね、山脇百合子さんってね、何十年、絵を描いてても、ぜーんぜん絵柄が変わらないの!

一昨年、広島で「こどものとも」社主催の文化セミナーがあって、そのときに「ぐりとぐらのかいすいよく」の原画展もしてたんです。きれいな青色が素敵な原画でしたけどね。で、昨年は、兵庫で福音館主催の絵本原画展があって、「ぐりとぐら」の原画があって、…きれいでしたけどね、紙の色がもうすっかり黄色くなっていて、シミなんかもあって…、で私は感動しちゃったんですね。この2作の間にものすごおく長い時間が経っているのがわかるんだもの。でも絵柄はおんなじなの。こんなひと、他にいるー? スヌーピーだって、初期とその後の絵柄は違うのに。絵は変わるのが普通じゃないでしょうか?

「これは写実画だったんだー」と思いましたよ。こんな可愛いデフォルメされたような絵なのに、実は山脇さんは、自分に見えるとおり素直に描いてるだけなんだー!とね。

と、いう話をしたら、あるひとは「絵が変わらないのは天才だから」と言っていました。ふうん、そうも言えるな…。すると天才ってのは自然体ってこと?

こんな可愛い絵で、愉しくて、しかもおいしそうなお話の「ぐりとぐら」は、本当に何年経っても子ども達の大好きな絵本です。昨年の原画展で、カップルの男の子の方が、「あ、おれ、これは覚えてる」(どうやら原画展は彼女の趣味につきあって来たらしい)と言っていたのも印象的でした。(他にもイロイロ面白いコメントを耳にしたゾ)

まあ、この一文はかなりマニアックな感想なので、皆さんはあまり気になさらず、ただ絵本を楽しんでいただけたらうれしいです。この本は親にとっても子どもにとっても心地いいという、実に幸せな一冊ですので、その、幸せで心地いい時間をしっかりと共有してほしいと願っています。

1999年10月の本

 メイシーちゃんおたのしみきょうしつへいきます

      ルーシー・カズンズ 作
      五味太郎 訳
      偕成社

しかけ絵本を紹介しようと思って図書館に行ったら見つからなくて、尋ねたら、「最初はたくさん入れてたんだけど、あっという間にこわれちゃって…。新しく入れるにもしかけ絵本はお値段も高めだし、すぐこわれるなら、他の絵本を充実させたほうが、と思って…」みたいなお答えだったそうで…。とてもよ〜くわかります。本当にそう思います。こばと文庫でも、あまりしかけ絵本を置いていません。ごく単純なこわれにくいものがほんの少しあるだけです。

この本も最初は文庫に置いていたのですが、はずしてしまいました…。

でもやっぱり楽しいので、たまには見せてあげたい、と思って子どもの国の英語の時間(2・3歳)に使ったりしています。英文はそのままで、日本語訳を五味太郎さんがつけているので実に便利。英文自体もシンプルで分かりやすいので、おうちで買われてもいいかも知れません。日によって、英語を読んだり、日本語読んだり、両方とも読んだり…。まあ、しかけ絵本として以外にも使い道があるのでこの「おたのしみきょうしつ」と同じシリーズの「おたのしみひろば」は重宝しています。(自分でさわる場合は3歳以上かな。その子の性格にもよりますが)

1999年9月の本

 みんなうんち

      五味太郎 作
      福音館書店

子ども達に排泄のしつけをするのは大変なこと。おもらしなんかしちゃったら、ついつい「きゃー!」と叫んで、叱っちゃったり…なんてことも。

そういうわけで、子ども達はうんちやおしっこになみなみならぬ関心を抱いています。だって、うんちやおしっこのために、大好きなママやパパや先生が大騒ぎしてるんですもの。子どもにとっては大問題ではないでしょうか。

だからね、たまにはこんな風に、ぞうさんもありさんも、生き物はみんなうんちするんだよーって、のんびり教えてくれる絵本って必要だなあって思うのです。

「ひとこぶラクダはひとこぶうんち、ふたこぶラクダはふたこぶうんち…これはうそ!」などという文章を読むと、昔はいーっぱいいた(最近はめったに見かけない)子どもをからかうオモシロイおっちゃんがこんなところに健在だなあと、ちょっとうれしくなります。(私はああいうおっちゃん一族の復権を望むものです。)

この本は「かがくのとも傑作集」。「え? うんちが科学?」なんて言われそうですが、うんちは立派に科学です。その人の健康状態まで教えてくれる大切なもの。ちょっとクサイけど、一生おつきあいする相手ですので、敬遠しないで少しなかよくなりたいものです。(もちろん節度は必要だけど)

ほかにも、うんちの本や、おならやハナのアナ、おしっこなど、いろいろと研究に値するものがあって、それに関する絵本なども出版されてます。子ども達の興味に合わせてご活用ください。しかけ絵本を子どもに与えるのは、難しい。もちろん内容が、じゃなくて、こわれやすいからなんですね。松井るり子さんの講演会に行ったら、やっぱりそんなことを言われてました。

1999年8月の本

「まあちゃんのながいかみ」表紙

 まあちゃんのながいかみ

      たかどのほうこ 作
      福音館書店

  たかどのほうこ作

              福音館書店

 

女の子というのは、生まれながらに女の子の感性を持っているのでしょうか。幼いうちから長い髪とか、おしゃれとかにものすごく感度がよくてびっくりすることがあります。
この本の主人公のまあちゃんは、タイトルに反して実はショートカットの女の子。長いのは友達のはあちゃんとみいちゃんです。
この二人が、「あたし、もっと髪を伸ばすんだー」なんて話すものだから、まあちゃんもだまっていられなくなって、「あんたたち たったそれだけしか伸ばさないの? あたしはね…」
おさげを投げ縄にして牛をつかまえるだの、木に結び付けて洗濯物を干してお母さんに感謝されるだのという、実に縦横無尽なイマジネーションに、ついついみいちゃんとはあちゃんは「それって大変じゃない?」とロングヘアの苦労を暴露してしまうのですが、まあちゃんは「へっちゃらよおー!」。
シャンプーしたら雲まで届くソフトクリームみたいになるわ、川で髪をゆすげば川のこんぶになるだの、その頃には妹が10人生まれててみんなで手入れをしてくれるだの…。気宇壮大ですよ。たかだかロングヘアの話題をここまでふくらませられる? フツー…。
日頃よっぽど長い髪をうらやましがっているんだろうなー。実際に髪の長いみいちゃんとはあちゃんは現実に縛られているのに。持たざることの豊かさというものも世の中には存在するのでしょうね。
でも、この本に訳知りの大人が出てこなくてよかった。…「それってすごくいい」と、3人でうっとりとする時間が持てて。このラストが3人の距離をぐっと近づけてて「ああ、本当に友達なんだなー」って感じで、それってとってもいいと思うのでした。

1999年7月の本

 おはようのほん

    M.W.ブラウン作
    ジャン・シャロー絵
    谷川俊太郎訳
    童話館

ブラウンとシャローによる「おやすみなさいのほん」は、ずいぶん昔からある絵本で、評価も高いのですが、それと対になる「おはようのほん」があると知ったのはつい最近、ほんの1・2年前でした。
福音館の月刊誌「母の友」に紹介されていたのですが、実際に購入してみると、「あれ?」…小さな絵本でびっくりしました。(「おやすみなさいのほん」は大きめなのです。)それにおなじ絵なのに、並べてみると、全然印象が違います。
赤の色あざやかな「おはようのほん」。ことばも何だか鳴りもの入りで、一言で言えば「!」という感じ。(「一言で」と言いつつ発音できないですね、これは)
あくまで静かに静かに眠りを誘っていた「おやすみなさいのほん」が、こんなにダイナミックな「おはよう」を隠し持っていたとは…。サイズが小さいのは正解かもしれない。小さくてもこれだけインパクトがあるのだから。
でも、ラストの言葉は、一度は子ども達に聞かせてあげたいな。
「おきるのよ みんな! きょうはあなたのもの」
(「おやすみなさいのほん」で寝て、「おはようのほん」で起きるというのは、子どもにとってどんな感じでしょうか? ちょっと試してみたいよね・)

「きゅうりさんあぶないよ」表紙

 きゅうりさんあぶないよ

   スズキコージ文・絵
   福音館書店

うーん、いったい何と言っていいやら…。
ひょんな本です、はっきり言って。
「きゅうりさん、そっちへ行ったらあぶないよ。ねずみがでるから」…この短い台詞とあのアクの強い絵だけで構成されているこの本は、妙に意味シンでしかも意味不明。
きゅうりさんは、誰の忠告を聞いても平気の平左で「そっち」へ向かっているし、忠告する方も強いて止めることもせず、ほうきだのローラースケートだのをきゅうりさんに持たせるばかり。 おかげできゅうりさんはだんだんすさまじい格好になっていきます。おかげで最後に出会う、その問題のねずみは驚いて逃げてしまうし、一体何が危なかったんだろう? そして裏表紙にはなんと、きゅうりさんの銅像が立っている。これはどういうことなんだろう。もしかして、きゅうりさんはあぶないねずみを追い払って、町の英雄になってしまったのだろうか…?しかしやっぱり何が危なかったのやら…。ナゾだ。
こんなひょんな本なのですが、けっこうイイな、とか思ってしまうのは、…変かしら、やっぱり。

1999年6月の本

あなたはだあれ表紙

 あなたはだあれ

      松谷みよ子 文
      瀬川康男 絵
      童心社

「メエメエメエ」
「おや? メエメエメエではわかりません。あなたはだあれ?」

動物達の鳴き声と、「はないちもんめ」などの伝承遊びを思わせる声の掛け合い、そして、自動車…。小さな子どもの心に響くものたちをふんだんに盛り込んだ絵本です。
私が読むときには最初の鳴き声は、できるだけその動物らしく、「あなたはだあれ?」と聞く側の擬音は文字どおりに平坦な発音にして読んでいます。(単なる私の趣味ですが。)
こういう赤ちゃん絵本は、保育園の赤ちゃん組で長年読み継がれていて、もうすっかり独特のメロディとリズムができてしまっていて、私の中ではほとんどわらべうたみたいな感じですが、多分、他の園にいくと他のメロディとリズムなのでしょうね。文化とか、方言とかって、けっこうこんなトコから育っていくのかもしれないなあ。他の読み方も、聞いてみたいような、聞きたくないような…。
できれば、の〜んびりと、うたうように、読んでやってほしい絵本です。
(どう読んでいいのかイメージがわかない、とおっしゃる方は、私の読み方でよければ、読み聞かせいたします。気軽にリクエストしてください。)

かさどろぼう表紙

 かさどろぼう

      モシビル・ウェタシンヘ作
      いのくまようこ訳
      福武書店

これはスリランカの小さな村のお話です。この村には、傘というものがありませんでした。雨の日には、大きな葉っぱを傘のかわりに使ったりしていました。ある日キリ・ママというおじさんが街で傘を買ってきましたが、ちょっとコーヒーを飲んでいるうちに傘がなくなってしまったのです…。
いつも、あたりまえにさしている傘が、初めて傘を見るキリ・ママおじさんの眼を通すと、すごくカラフルで楽しいので、うれしくなってしまいます。
子ども達も、雨の日は、こんな新鮮な気持ちなのでしょうね。「これ、ぼくのかさ」なんて、自慢してたり、ながぐつがうれしくて、わざわざ水たまりを選んで歩いたり…。
このお話では雨の日のみならず、晴れた日にも、みんなが日傘として使ってて、スリランカの日差しのきつさが身にしみるわー、という感じ。そのせいもあるのか、おじさんは傘がうれしくてうれしくて、なくなっても懲りずに何回でも買ってきちゃうんですねー。そして、かさどろぼうをつきとめても、おじさんも、どろぼうの方も、出会えてうれしそうでした、という…。なんだか徹頭徹尾「うれしい」気持ちの絵本です。みんなにもこのうれしい気持ちを受け取ってもらえたらうれしいなあ

1999年5月の本

ひつじかいとうさぎ

 ひつじかいとうさぎ

    ラトビア民話/内田莉莎子再話
    スズキコージ絵
    福音館書店

近ごろやたら気に入っている一冊。
イギリスの童謡に似たようなのがあります。こばと文庫にも「おばあさんとこぶたのぶうぶう」という絵本があるのですが、実はあまりピンと来なくて読み聞かせをしたことがない。
でも、こちらの話は、「ああ、あれかあ」「言葉遊びっぽくて、昔話の導入にはけっこういいかも…」と軽い気持ちで(ちょっとコソクな意図も交えて)読んでみたら、「おもしろーい」「へえー、こんな話だったのか」
意外なことに含蓄にも富んでいる(そんなことは全然期待していなかった)。
そういうわけで、読んでいる私がすっかり悦にいっています。でも、それだけでなく、読んであげた子も後日、他の子に「これおもしろいんでー」と言っていたので「ふむふむ」とさらに悦にいっているという…。多分、3〜4回続けざまに読まされても平気だなあ、私。
スズキコージさんの絵も、お話のテンポをよくつかんでいておもしろい。さすがです(でも見慣れないうちはとっつきにくい絵なので、…おもしろいから、早く見慣れてね!)。

まよなかのだいどころ

 まよなかのだいどころ

    モーリス・センダック 作
    神宮輝夫 訳
    冨山房

ミッキーの話、知ってるかい? 真夜中に、あんまりさわがしい音がするので、どなったら、暗闇に落っこちて、はだかになっちゃって、月の窓も、パパとママが寝ている部屋も通りすぎて、降りたところは、明るい真夜中の台所…。
「かいじゅうたちのいるところ」にも言えるのですが、センダックの絵本には、大人の踏み込めない領域というのが厳然とあるような気がします。
何と言っても読み聞かせがしにくい。文字まで大切な、絵の一部分になってしまっているので、うかつに読んではいけないような気がするのです。そしてお話がいちばん昂揚しているところで、文字がない。見開きで空を飛んでいるんです。それはお話の展開上、いちばん自然な形なのですが、…読めないじゃないですかー!
…というのは、もう、完全に、こちらの勝手な言い草ですね。この本が読み聞かせしやすくなれば、その分、魅力も半減することは確実ですから。
「不思議で独特で、扱いにくくて可愛い…」うーん、何かに似てますねえ…。
ともあれ、私はこの真夜中の台所の街並が好きです。「キールのいんげん」ビルとか「お子さまスープ」ビルとか、ヒソカにパンやガーリックパンの電車が走っているところとか、二重あごの3人のパン屋さんとか。

1999年4月の本

なにをかこうかな

 なにをかこうかな

  マーグレット&H.A.レイ 作
  中川健蔵 訳
  文化出版局

「なにをかこうかな?」うさぎのビリーはそういって、真っ白いキャンバスに絵を描き始めました。でも…。
キャンバスの絵がどんどん妙ちきりんになって、初めて小学生に読んであげた時には思いがけずあっちこっちでクスクス笑い声があがるのでびっくりしました。自分で読んだときには予想もしなかった反応でした。本当に絵本は読み聞かせをしてみないとわからないですね。
人気の高い「ひとまねこざる」シリーズのH.A.レイ氏の絵で、可愛くて親しみやすい一冊です。

やまなしもぎ

 やまなしもぎ

  平野直・再話
  太田大八・絵
  福音館書店

病気にかかったお母さんのために、3人の兄弟は山梨をとりに出かけます。そして…。
出たー! 昔話の黄金のパターンってやつ? なぜか昔話では、やたらと出てくる3人兄弟(姉妹もね)。何だか、これは同じ人物なのではなかろうか、と思ってしまいます。2回も怪物に「げろり」と呑みこまれてもめげずに、3度目の正直で目指すものをゲットするんだなあーって。あきらめちゃだめなのよ、ガンバレガンバレーなどと思わず自分に声援送ったりしちゃうわけです。
末っ子の三郎さんは、おばあさんをはじめ道みちいろんな助力を受け入れるわけですが、このおばあさん達、最初から最後まで手を差し伸べ続けているというのは、考えてみればすごい事ですよね。助けの手を差し伸べて1回目も2回目も無視されたというのに。なかなか出来ることではありませんよ、これは。…み、みならわなければ。

1999年3月の本

おおかみと7ひきのこやぎ

おおかみと七ひきのこやぎ

  フェリクス・ホフマン絵
  瀬田貞二訳
  福音館書店

渋い色合いの地味ーな本、とくになんてこともないけど、でも何処にでも置いてある一冊…などというのが、この絵本に対する子どもの頃の私のイメージでした。地味だけど良い本、もしくは良い本だけど地味。……どうも絵よりも文字を読むばかりの子どもにはちょっと印象が薄かった。
でも、この本が出来た経緯などを聞くと、俄然印象が変わってきます。
フェリクス・ホフマンはもともとは絵本作家ではなく、石版画とステンドグラスをよくするスイスの著名な芸術家だったそうです。彼には三人の娘がいて、よく昔話を語ってやっていました。
四番目の子どもが生まれることになり、ホフマン夫人は入院、上の二人の娘は実家に預けられましたが、三番目のスザンネは麻疹のため、ひとり家に残されお父さんが面倒を見ることになります。2歳半、家族バラバラでさぞや心細かったことでしょう。そんなスザンネのために描かれた本が、この「おおかみと七ひきのこやぎ」です。たった一人の子どものために描かれた、世界に一冊しかない絵本。
なんだかため息が出ちゃいますね。出版されたのはそれから十年以上後のこと。そして現在に至るまで40年以上もいろんな国の言葉で読み継がれてきた絵本。あまりの豊かさ、愛情の深さに圧倒されてしまいます。
こんな絵本を眠らせてるのはもったいないなーとかって、思っちゃいますね。
ホフマンは、子ども達一人一人のために、そして孫達のために1975年に亡くなるまで、いくつもの傑作を描いています。それってすごい遺産だなー。
この遺産分配には、私たちだって与れるんだから、しっかり受けられるものは受け取りたいな。そして子ども達に伝えていくことができたら最高ですよね。
と、いうわけなので、是非、一度読んであげてください。

1999年2月の本

「おとうさんおはなしして」表紙

とうさんおはなしして

  アーノルド・ローベル作
  三木卓 訳
  文化出版局

子ども達がベッドに入ってお話をせがみます。
「とうさん、お話してよ」
とうさんは一人にひとつずつ、全部で7つのお話をしてくれます。
…それにしても、なんだかとってもユニークなお話ばかり。きっとおとうさんの創作なのでしょう。そんなに難しくなくて、こんなお話だったら自分でも子どもにしてあげられるかな…?って気がしてきます。(一度に7つはたいへんだけど)
こんなオリジナルのお話をしてくれるおとうさんっていいなあ…。
このアーノルド・ローベルの奥さんも絵本画家で、合作の絵本なんかもあります。アーノルドさんも、このとうさんねずみのようなお父さんだったのでしょうか…?

「こすずめのぼうけん」表紙

こすずめのぼうけん

  エインワース 文・石井桃子 訳
  堀内誠一 絵
  福音館書店

こすずめは気持ちのいいきづたの巣の中に住んでいました。羽がはえそろうと、お母さんに飛び方を教わって…。
何かができるようになると、急にその先にある可能性がすごいリアルに見えてくるようになります。そんな時の冒険心って失くさずにいたいもの。見えてきた可能性と一緒に生じてくるいろいろな困難にであっても。
ファンタジーは「行きて帰りし物語」と言われます。行って、くじけた時に自分の安らげる場所があることがもう一度挑戦できるかどうかのポイントみたい。
こすずめが訪れる他の鳥の巣が次第に高い木のこずえから少しずつ降りてくるのも、こすずめの身体的な疲れの度合を示すとともに、次第に気落ちしていく気持ちのバロメーターにもなっています。でもそんな解説をしなくても、3・4歳くらいの子どもにはちゃんとこすずめの気持ちがわかるようです。「自分で出来ることをやってみたい、でも両親のあたたかな庇護がなくなったら不安…。」 …ね? ちょうど反抗期の心理状態みたいじゃありませんか。
小さな子どもの世界観をとても見事にあらわしている一冊。シンプルだけどたくさんの心の栄養素が詰まっています。

1999年1月の本

「やまんばのにしき」表紙画像

やまんばのにしき

  松谷みよ子・文
  瀬川康男・絵
  ポプラ社

きこえるよ、 かぜが戸口で呼んでいるのが。「おーい」とちっちゃな声で。「おおーい!」 すると ぼくは風船をもって あそびにとびだす。
ああ、そうだなー、風が吹くのがすごく面白かったことがあった。なんだか身体中がわくわくでいっぱいになってたなー。
と、そんな感慨とともに、思うことがひとつ。 それは、「科学」とか「文学」とかっていろいろ「学問」なんてものがあるけど、根っこは全部子どもの感じる「オドロキ」の気持ちにつながっているのねー、って、そんな単純なことなんだけど。
地味な本だし、主人公は肌の色が違うし(見慣れないもので、すみません。慣れたらけっこう可愛い)、最初は全然ピンと来ないかったんですが、時間が経つごとに熟成していく本、そんな気がします。


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