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1999年10月

今は激動の時代である。
我々の意識の変革が
求められている

「暑さ寒さも彼岸まで」自然は一定の法則で、輪廻転生し、私達に生きる力を与え、人が生きる道を示してくれる。

自然の中で自然の法則によって生活し、大自然の恩恵によって生かされていることに気づき、感謝し、その恩に報いることを願って生きる人間こそが、幸せな人生を謳歌できる。

「自然に生かされている」これは知識や理屈で学ぶことではなく、自然と共に生きる中でのさまざまな体験、経験の中で五感を通して、身についていく。自然と豊かな人的環境によって人間は成長していく。

保育・教育の基礎は、よりよい自然環境の中で、良い人に出会い、人間形成していくことである。特に乳幼児期における自然環境は人の一生を左右する。しかし今、永い時間をかけて創られてきた自然環境が破壊され、環境汚染が大問題となっている。

この地球を破壊しているのは人間である。それは人間の心の破壊に端を発している。そして自然を感じ感謝する気持ちを失っている現代の人間社会は知らないうちに大きな危機に瀕している。

今年の夏は暑さもひとしお厳しかったように思う。梅雨明け宣言も遅れ、梅雨、夏、そして秋になっても各地で豪雨が繰り返し、想像を絶した災害となり、多くの人命を失った。その他にも予想外の災害が多発し、地震も多く、トルコ・台湾で相次いで大惨事となった。

地球は温暖化し、それもまた人間の責任である。生物はほんの少しの温度差で生死の分かれる敏感なものである。また、わずかな温度差で海岸線も変化する。海岸線が後退し土地が減れば人間のすめる環境は益々減っていく。

現在、激動の真っ最中に於て小手先の行政ではなく、国民一人一人の意識改革を図ることが重要と思う。二十一世紀はどんな人間社会を構築していくべきか、その為に今国民は何に気づき、どう行動するべきか、そしてそれをどう国民に訴えていくか。何が最重要課題かを明確にするのが現在の政治課題だと思う。

政府与党である自民党の総裁選が自民党所属の国会議員と党員代表の間で行われた。また民主党の党首選も行われた。

しかし、二十一世紀に向けて、政治はかくあるべきという明確なビジョンや訴えはない。

日本の将来についての確たる再生の途を見出し夢のある国作りの意欲を国民に与えない、これが政治だろうかと思う。

小渕内閣の自自公の協力体制による組閥の政治は妥協以外の何物でもない。景気回復という小渕政策は財源もないのに借金をし、意味もなく金をばらまくバラマキ行政であり、歴代の内閣・政府の失政の穴埋めを、国民の税金に肩代りさせる政策を行っているようにしか思われない。

経済不況は、失業・家庭崩壊など色々予想しない事態をも引き起こし、社会不安を生じさせる。

好況に酔い続けてきた若者には対処の方法すら見出せない。人に助けを求める前に、自分で対処する努力をしないと解決にはならない。

その為に出ずるを制して入るを図る以外にない。勤倹・節約という言葉がある。昭和恐慌の時、私は小学一年生だったが、どの家にも「勤倹・節約」と墨書したものを家の門に打ちつけて日常の行動指針としていたことが目に浮かぶ。この標札は村役場で作ったのか誰の発案だったのか確かめたことがないが、節約が不況を乗り越えるために必要な美徳と信じ、経済恐慌を乗り越えるための合言葉としていた。借金の恐ろしさを痛感していた国民は、借金を恐れ、節約に努めてきた。

今日、国は不良債権で行き詰まっている銀行の尻ぬぐいのための金を出したり、行政の外郭団体の各種法人の負債に援助したり、その負債の責任を追及し明確にすることなく、国債と称する国民の負債によって充当するなどの施策によって膨大な予算執行しているのが今日の政治の在り方である。地域振興券と称して国は多数の国民に小遣いを配布するなど、かつて誰も考えたことのない施策が行われて来た。

国債発行によって借金政策を続ける政治とは何だろうと思う。借金して将来引き起こされる国民の負担と、景気の浮揚とどんな相関関係があるのか、国民にはっきり示して欲しい課題である。

今、岡山県も赤字財政の中、新規事業は一切行わないとのことである。県の予算の大部分は県の職員の人件費や外郭団体の補助金や多額の負債の返済に手一杯という状況である。この赤字の原因の究明、人件費の削減などの県財政の健全化対策について、県民に充分明示されているとは言えない。不況が深刻になれば、家庭の経済も深刻になり、さまざまな支払いも滞納が増え、県の財政は益々困窮する結果ともなる。

昭和の恐慌の時の村役場の収入役は税金収納のための日時を設定して、各地域に出向いて徴収していた。徴収業務は今後大変な状況になり、滞納は必然的に増大する時代を迎えている。自治の本来の思想に帰らなければ地域の活性化は望めない。官僚的体質から脱皮し、地域の人々と共通の視点を持って、共通の夢を持ち共通理解の上で県民融和の施策を講じ、住む人が郷土を誇り、生き生きと暮らせる岡山県を目指してほしいと思う。

主権在民、行政者は公僕と言う、民主主義政治の根幹を逸脱した政治、行政の中から、真の民主主義社会は生まれない。占領政策によって外から押し付けられた民主主義社会の崩壊は当然の帰結と思う。政治体制もまた自分達で考え、選んでいくべき時を迎えているのではないだろうか。

しかし住民意識を無視するような官僚体質の既存の行政のままでは、将来は危うい。

今、必要なのは、地域住民の生きる為の意欲を盛り上げ、その手助けをすることであり、それが本当の地域活性化に結び付く。その仕組を理解し、情熱を持ってこれに対することのできる行政体質へ変化して地域から信頼される自治体となってほしいものである。

今、保育園も少子化時代の中で保育の在り方を根本から見直すべき時期に来ている。これからの時代は保育園が地域の核となって、地域起こしの先導的役割を果たすことが保育園に課せられた使命と考えている。

その為に各保育園園長は自己の生き方や考え方を明確にし、保育者や保護者に伝えていかなくてはならない。

少子化対策ついても、本当に現状を認識している現場の保育者ではなく、状況がつかめていない保育未経験者が担当している点に問題がある。少子化問題は、日本の国にとっても緊急の課題であるが、その重大さを充分理解している人があまりにも少なすぎる。行政は数字・統計に頼るしかなく、少子化対策の重要さを理解していても、現場を知らないため方法論は無策に等しい。もっと現場の声を生かした施策を望むものである。

以下は九月二十三日付の山陽新聞「滴一滴」欄より

「十月十二日、世界の人口は六十億人に達する」。国連人口基金が発表した今年の世界人口白書の予測である。一九六◯年、世界人口は三十億人だった。それが三十九年間で倍増、今世紀初頭に比べれば四倍増である。予測では二◯五◯年の人口は八十九億人(中位推計)。環境を維持しながら地球が養える人口は八十億人と言われる。対応にあてる時間は残り少ない。▼世界では人口増が課題だが、逆に先進国共通の悩みは人口減である。日本は昨年、合計特殊出生率が一・三八となり、さらに下がりそうな気配だ。人口を維持できる二・◯五以上になる見込みはほとんどないといっていい。▼少子化対策で有名なのはスウェーデンである。七八年に合計特殊出生率が一・六◯まで下がった同国は、強力な出産・育児支援策をとり、九◯年には二・一三まで回復させた。しかし、その後、深刻な不況で支援策が後退すると出生率もまた落ち込んだ。▼白書は「一度低下し始めた出生率を長期間、再び元に戻すことに成功した例はこれまでにない」と少子化対策の効果に手厳しい評価を下す。では人口減による人手不足には、どう対処すればいいのか。「高齢者や海外からの移住者にに期待せよ」というのが白書の答えだ。▼わが国の労働人口は五、六年後がピークで、その後減少に転ずる。昨今は長引く不況で就職難が続いている。だが、経済が衰えないという条件付きだが、少し長い目で見ると、やがて人手不足の時代がやってくることは間違いない。

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