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日本は世界に冠たる教育国、昭和四九年の時点で六・三制義務教育就学率一◯◯%、高校進学率九二%、短大・大学進学は年々増加の一途であった。 教育が進むにつれ、人間社会が益々混乱していく事は誠に残念である。昭和四九年の日教組の全国大会会場は警察の機動隊を動員しなくては開催できなかった。大会の内容は職員の質の向上や、教育内容といった本論ではなく、派閥による人事構成でヤジ等乱闘に近い大会であった。 昭和四十年代の終わり頃から日本の教育に危機が到来し、文部省も「ゆとりの教育」で変革を呼び、昭和五一年当時の永井文部大臣はその年五月二三日岡山市民会館での講演の中で教育の危機を叫ばれた。「毎日通学している人口二千数百万、そこで働く人は百六十万人、人口の三分の一近くが通学している。私は学習しているとは言わない。私学振興の為予算は組んでいるが私学の体質内容は定員の二十二倍も生徒を入れている学校もある。…国の予算、地方自治体の予算の教育費は膨張し、家計の中でも教育について莫大な費用を要している。 今日学業不振、登校拒否、自閉症、盗みを始め数々の非行が横行し凶悪化し、又過保護が目立ち偏食七四%と言われ問題児が多くなりつつある。…その最大の原因は子どもを取り巻く環境と父親ではないだろうか。…今日、教育の危機を招来し、日本民族の未来は危険である。子どもを不幸にする。教育の正常化を図らなくてはならない。」と、そう語られていた。 この永井文部大臣の講演から四半世紀を迎えようとしている。そして今日の学校教育の実態は、平成十年度の小中学生の不登校二割増、十二万七千人、つまり年間三十日以上欠席した不登校の小中学生は昨年度、計十二万七六九四人で、初めて十万人を突破して、前年度を二割も上回った。増加率では過去最高、中学校ではクラスに一人の割合で不登校児が存在することになる。 全国の小中学生の数は前年度より約三十万人減り、いずれも過去最低、その中で不登校児数は七年連続で過去最高記録を更新しつづけ、不登校児童数は小学生二万六◯一四人(前年度より約五千人増)、中学生十万一六八◯人(前年度より約一万七千人増)に上った。 子どもの暴力は過去最悪 公立の小中高校の児童生徒が一九九八年に起した暴力行為は約三万五千二百件、前年度を二四%上回り過去最多記録を更新した。 「いじめ」は減ったものの、壁を壊すなどの行為を含めて「暴力行為」が増えたという。 統計には表れにくい「学級崩壊」の現象も各地で起きている。 不登校には至らなくても、苛立ちや不安を募らせている子も多いようだ。文部省は不登校の理由を類型化している。 最も多いのが登校しようとすると体に変調が出たり不安を感じたりする「情的混乱」だ。主因が特定できない「複合」、なんとなく登校せず、再登校しても長続きしない「無気力」と続く。 解消の途を探るのは容易ではない。無理に学校へ行くことだけが生きる道ではないとの考えも定着しつつある。 他方で多くの子は心の底で、喜んで学校に行けることを願っているとの見方も多い。これなどが平成十一年八月十三日新聞紙上に掲載された学校崩壊しつつある現状である。 昭和四十年代後半から続く学校問題は、家庭内暴力から校内暴力、さまざまな非行などがあった。しかし高校生から始まった問題が、まさか中学生や小学生には起きまいと思われていたが、次第に低年齢化し小学生も多く見られるようになり、しかも加速しながら悪化している状況である。 昭和五二年は、戦後三十年の歴史の中で教育についても強く反省が求められた年であった。五一年末の教育課程審議会の答申を受けて、小学校の指導要領の改定案は「ゆとり教育」を目指し、小学校五・六年の場合、現行の週三十三時間から週二十九時間に減少された。第十一回参議院議員選挙の争点は教育問題となり福田首相は目玉政策の一つに教育を取り上げ、野党側も追随し、中でも新自由クラブは「教育立国論」を一枚看板に参議院選に初名乗をあげ、国民側も「詰め込み教育」「乱塾」「受験戦争」「学歴社会」といった荒廃を早く解決してほしいと政治に求めた年でもある。 昭和五五年、我が国の教育面に於いて、その前年に家庭内暴力、校内暴力、特に教師に対する暴力事件が多発し、「教育の荒廃」が表面化し、教育とは何か、反省とその対策が迫られていた。昭和五六年一月、日教組の教育研究集会(第三次)に於いてこの問題が中心になって研究討論された。 教育者は、進学を偏差値による輪切り指導を行い、授業は頭ごなし、そして非行生徒は退学処分、或いは警察と連携して問題児は鑑別所へと排除する、先生は子どもの告発者という新聞記事もある。学校の授業削減は塾通いが以前より増加していることが日教組の研究集会で発表されていた。 昭和五五年頃は、高校・中学での学校教育問題に悩んでいた時期であった。それから今日まで二十年に亘る歳月を迎えいているが、平成に入ってから小学校にまで、いじめ、登校拒否、非行が始まった。高校に於いては義務教育でないため、高校に入学しても退学する生徒が多く毎年高校の一校の定員数にあたる生徒が学校を退学しているとのことである。 約半世紀の間に、文部省を中心に各都道府県教育委員会、各市町村の教育委員会は必死で学校教育についての対応を計って来られたが全く成果は上がっていないのみならず、益々深刻化して、学級崩壊、学校崩壊という瀬戸際に来ているのが学校教育の現状ではないだろうか。 教育の崩壊は、日本の歴史の中で過去に例のない事であり、崩壊している学校教育を文部省は国費を投じて存続を模索しているが、二十五年経てきた現在、何一つ国民の納得する答えは見い出せていない。教育行政の再生の道を、文部省は国民に明示してほしいものである。そしてこのような施策をしたが、このような結果に終わった、と今までを振り返って反省と何故そうなったのかの分析を説明していただきたいものである。 この黙視できない惨状であるにも関わらず、教育に対して提言できる者がいない今日の状況は嘆かわしいばかりである。 子どもは生まれながらに純真である。真心があれば通じるものである。その子ども達がこれほど荒れるということは、教育者が真心を尽くしておらず、また教育行政が、教育者の心の在り方というものを知り、心ある教育を進めることができないということではないだろうか。教師と生徒の間の信頼関係、人間関係の薄さを感じざるをえない。 そして、今の教育制度の中では教師を選ぶこともできず、また関係も長続きできる環境ではない。信頼関係が育つことの方がむしろ奇跡に近い現状である。そのような教育行政を敷いているのは文部省の教育認識の低さに他ならない。 かつて江戸時代から幕末までの教育形態は、郷中教育というものであった。人間関係の濃密な地縁血縁社会が存在し、その地域社会の中に信頼できる教師がおり、学問を志す者はその教師から学んだ。そして更に深く学習しようと願い、学ぶ力量のある者に対しては、教師は他の地域にいる専門の教師を紹介し、またこの生徒を頼むといった紹介状を持たせるなどして、その成長の為に尽力を惜しまなかった。生徒も学ぶ目的をもってその教師に師事していた。 こういった人間関係、教師の愛情、なぜ学ぶかという目的意識といったものすべてが、今の教育の現場では育たない。教師に熱意があっても空回りを強いられるシステムになっている。そして熱意のない教師でも教育の現場から追われることのない現状は、熱意のある教師を失望させ、消耗させ、現場から去らせることにもつながる。 この教育の在り方に疑問を持ち、塾やフリースクールなど、さまざまな活動が活発になってきている。信頼関係を回復した新しい郷中教育が今見直されなければならないと思う。その活動に対しての財政支援が教育行政の責務であると考える。 教育の再生を図った、本当に意義と成果のある「教育費」を使いたいものである。 |
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