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爽やかな5月から6月。数日経てば梅雨入り宣言もあろうか。気候が変わる。この梅雨期があるから日本では稲作が出来、主食として国民を養ってくることができた。 また6月は夏至があり、1年中で一番昼が長く夜が短い季節である。夏至を境に一日一日夜が長くなり、秋の彼岸、秋分になれば、夜と昼の長さが等しくなり、さらに夜が長くなっていけば冬至、そしてまた春の彼岸を迎える。 保育園も春の彼岸が過ぎた4月から新しい年度を迎え、気候に恵まれた「陽」の季節、全てのものが活発に動き、成長する大切な自然環境の中で多くの子ども達を迎え保育をしている。この季節を謳歌しつつ保育内容の充実を図り、自然のサイクルから自ら育つ力、生きる力を授かって行きたいと念じている。 保育園ではプール遊びも始まる。6月から9月5日頃までの長期間の遊びとしている。また運動会が終わってプールが始まるまでの期間は乾布摩擦をして身体を鍛えている。 高島第一保育園の開園間もない昭和45年に、本園の保育目標を「花一杯、歌一杯」と定めて今日に至っている。 「花一杯」とは 有自然雄大慰心 與感動 持無言之包容力 大自然感謝為心 保育の根幹也 「歌一杯」とは 感美心 育音楽 遊之中 自然之中 生活之中 育美的感覚 素直心者 豊人間形成為也
保育とは何か、子育てとは何か。昔からの諺となっている「三つ子の魂百まで」の三つ子の魂とは何か。 今、幼稚園や保育園で保育に携わっている幼稚園教諭資格・保育士資格をお持ちの方々はどんな考えで保育を実践されておられるでしょうか。また、子どもを産み育てられているお父さん・お母さん方はどんな気持ちで我が子を育てようと思われているのか。そして、そこには果たして自分なりのビジョンや人生哲学は反映されているのだろうか。 今日の社会は学歴や地位などの見えるものばかりを重視して、哲学などという見えないものは軽んじられてきたように思う。子育て自体も結果がすぐに見えないためにその価値が永く見過ごされてきた。 しかし、この歴史の転換期とも言える今になって子育て支援が行政の謳い文句となっている。これは人類史上曾て無いことである。さらに最近まで教育界の権威ある人々は異口同音に「乳幼児の子育ては家庭でされるべき」と述べられ、保育園の乳児保育には否定的であるなど、子育ての実情には全く疎かったのが保育行政・教育行政の実態であった。乳幼児の成長は生活を離れてはありえないが、そのことも理解されず、幼稚園が幼児教育施設であり、保育園はただ子どもの預かり所としてしか認識されず、保育園の地位も幼稚園に比べ低く見られてきた。幼保一元化についても幼稚園側や文部省の自らを高しとするプライドによって拒否され、今日まで教育と福祉という二つの行政路線に分かれて来ざるを得なかったのが実情である。 保護者の意識の中でも保育園から幼稚園に行き小学校就学という、保育園は集団保育になれるための準備施設のように思われてきた。しかし子どもにとっては、せっかく慣れた環境から引き離され、慣れない環境に移されて教育を受けるという経験を繰り返し味わうことが果たして幸せであっただろうか。 高島第一保育園に於いても3歳児で入園し、家庭で甘やかされて躾も放任され、泣き叫ぶ子どもが一年でどうにか保育園に慣れ、これからいろいろな保育ができるようになる、という目星がついてきた頃に中途退園して幼稚園に移るということがしばしば繰り返されてきた。私達保育者の無念もさることながら、安定した環境を求める子どもの心理にどんな影響を残すかと考えると本当に辛いものがあった。高島幼稚園は2年保育であったが、幡多幼稚園は一年保育であったので、何とか4歳児クラスが編成できた。働くお母さんが就学前まで本園に預けられることもあれば、仕事のために保育園に入園したはずの子どものお母さんが仕事をやめて幼稚園に入学させたりということもあった。第一子は幼稚園に行かせたが、期待していた教育成果と感じられなかったのか、第二子からは保育園に残されたり、一旦幼稚園に通わせられたが、また保育園に戻ってくるケースも多くなり、就学前の5歳児クラスを設置し、保育の完成期とする夢が実現できたのは開園から10年程経った頃であった。 行政や体制は保育園の小規模化を推奨してきた。また保育園から幼稚園へ「進学」することを勧める保育園もあるなどという話を聞くと、保育とは何か、保育園の役割とは何か、保育に携わる者でさえ理解が乏しい現状が伺える。 高島第一保育園では、乳児から就学までの一貫教育を提唱し、生きる力を育てる保育を目指して意欲的に取り組んで来た。 毎年9月頃、高島幼稚園では新年度の幼稚園入学希望調査のために、保護者会が町内の該当年齢児童を個別調査し、保育園に来ている子どもまで勧誘して、その実態を把握することが恒例となっている。その調査を受けたというある保護者の方が教えて下さったが、その調査の際に、幼稚園の設備と教諭の優秀さ、幼稚園長の来歴などを述べられ、県下一の幼児教育がなされていると言われ、小学校教育の際に、幼稚園出身の児童の方が保育園出身の児童に比べてやりやすい、だから幼稚園に行かせた方がよいという話をされたそうである。その勧誘に従って幼稚園に入学した子どももいる。 幼稚園は文部省の管轄で教育施設、保育園は厚生省の管轄で福祉施設とされている。しかし、本当に幼稚園が幼児教育の施設としてその役割を果たして来ているのだろうか。 昭和40年代は1年間の出生が200万人を越えていたが、50年代に入ると毎年7〜8万人ずつ減少し、130万人ほどとなった。保育園入園の対象となる0〜6歳までの子どもは1200万人から800万人に、約3分の1、400万人減少し、いわゆる少子化の問題が生じてきた。それは同時に全国の保育園にとって危機的な状況を迎えたことでもある。 それから20年近く経った。保育園が低年齢化し婦人労働が定着し、保育園の利用状況が変化してきた。また、保育園の保育に対して信頼をもって預けられる保護者も増えた。幼稚園の教育が質が高く、保育園は低いといった、いわれの無い差別意識や、公立優先指向も薄らいできた。 岡山では、公立の教育施設を高く評価する傾向が強く、特に昭和40年代は、その傾向が顕著であった。私立保育園は、「福祉施設」で「私立」であるという二重の色眼鏡で見られ、疎外されてきた。年度途中で公立の定員に空きができると公立に移り、私立は措置児童の人数によって運営の費用が決まるため、途中で辞められると運営収入が減り大変苦しい状況になる。しかし、そのことは、却って私立保育園にとっては良いことであったかもしれない。何故なら、努力をしなければ存続が危ういという状況の中で、努力して実践を積み重ねてくることができたからである。そうして、努力をしない公立保育園よりも努力する私立保育園を評価して入園希望が集まり、公立は定員割れしていても、私立は定員以上の希望者がいるという状況に変化してきた。 一方、公立は岡山市の運営で、そこに投入している予算は、私立とは比較にならない。職員給与も市の職員として扱われ、建物などにもふんだんに予算を使っている。その格差たるや莫大なものである。しかし、この格差に見合った保育内容かどうか、と言えば首を傾げざるを得ない。それは入園希望者の公立離れが物語っていると思う。 現在、岡山市の保育行政の大問題である待機児童の問題も、この公私格差の問題と共に公立民営化することによって解消できると考えている。それが岡山市民の為の保育行政となるのではないだろうか。 しかし、現在定員の充足している私立保育園の中にも問題は生じている。充足してしまったために、努力することを忘れつつある園も増えてきている。今、あらゆる価値観が変化し、新しい時代に向けて動き出している過渡期である。この時期に努力をしなくては、21世紀に存続をすることができない。存続できないという事は、自分達の掲げている理想もまた存続できないということである。目指す理想を実現するためには、私立保育園はさらに努力し続ける必要がある。 私達は、本物を子ども達に与え、伝えていきたい。そんな本物の保育を目指しています。 音楽にしても、本当に音楽が好きでその道を選んだ音楽講師に指導していただいている。絵本もいろいろ研究し、子どもが感動しいつまでも心に残る本を選び、与えてきた。絵画も、絵画の楽しさを充分知っている専門家に指導をお願いしてきている。一番大切なことは、保育をする人間の心の在り方、人間性である。子どもの心を大切にし、子ども達に愛情を注ぎ、魂を伝える保育者の本物こそが大切である。どの保育者も、今、出来ていることや現状に甘んじず、常に成長していく心の在り方を子ども達に示してゆける存在であり続けてほしいと願っている。 |
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