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春の怠惰は秋の収穫を得ず。
4月は大きな切り替わり、出発の時です。希望に輝く1年の門出でもある。自然も冬の眠りから覚め、芽吹き、花は開き、新緑は萌え、うつくしい季節を迎えます。
暑さ寒さも彼岸まで。春の彼岸から秋の彼岸にかけては陽の季節、活動の季節であり、冬にしっかり準備した体力や能力を行動によって夢を実現させる好機とも言えます。そんな時期が目の前に来ているわけです。
私たちは自然の法則に従って生き、生かされています。そのことに気付き感謝できるかどうかが幸せな生き方の第一歩となります。生命は人間の力だけでは生まれない。私たちに与えられた生命は、数億の精子と卵子の統合によって神から授かった大切なものである。それぞれがかけがえのない、選ばれた存在なのです。
その大切な生命は、その人にしかできない使命を持って生まれています。その生命の根源を私たちそれぞれがしっかりと意識し痛感して日々生きて生きたいものです。
自分の命の大切さを感じることは、他の生命の大切さを痛感して共に生きていくことでもあります。共に生き、助け合い生きることが幸せの道と言えます。
20世紀もあと1年と8ヶ月となった今、人類社会に於いて凄まじい嵐が吹き荒れている。
これは歴史の流れからして、当然来るべきものであるが、人類にとっては生き残りを賭けた一大変革の時代でもある。地球の歴史の中では人類の歴史など実にささやかなものであるが、その人類が地球全体を荒廃させ、多くの動植物が絶滅の危機に瀕し、資源は枯渇し、大気や水や土壌も汚染され、あまつさえ生化学兵器や核兵器の開発や利用により多くの生命を奪い、さらに地球に大きな負担を与えている。
人間社会も変化し、対立・闘争の絶えない人類自身が住みにくい社会を作ってきたこの20世紀であり、ここで大転換を計らなければ、地球の破壊即ち人類の破滅に通じかねない。
我々はどう生きるべきか、人類の地球上に於ける使命とは何か、21世紀に向かっての人類の在り方が今問われている。
この四月には統一地方選挙がある。政治の方向を占う大切な選択の年である。東京都知事選の行方もこれからの社会を読むための大切なキーワードであろう。さらに女性候補の出馬も過去最高となっている。
女性議員の進出は、これ以上男性に任せておけないといった危機意識が女性の政治意識の高揚となったためではないだろうか。
私は男性優位の社会で育ち、戦争にも参加し、男が国や地域を守るべきという使命感で町議会議員を3期勤めたが、政治の濁りを感じ、自分の信念を通し続けることの難しさを感じて政治から手を引き、保育事業の道を模索して今日に至っている。
女性は社会的弱者であったがゆえに今の社会の歪みや男性優位、男性の横暴に対して問題意識を持ち、何とか良い社会を築きたいという真情が、社会進出という形で表われたのであろうか。女性が社会に貢献し、政治の舞台でも活躍される21世紀がすぐそこまで来ている。
私は男性の一人として、自分の腑甲斐なさをつくづく感じる。食事も作れず、家事は何も出来ない。自分が生きていく力を持っていないと情けなく思う。女性は、家事をしながら子どもを産み、育てる。仕事を持ちながらこなしている人も多い。大変な気力と体力・根性の持ち主であると感心するばかりである。
そんな女性の力が21世紀を動かしてこの人類社会の危機を回避する大きな原動力となってくれればと思う。
保育園を設置して33年になる。この間、保育園の仕事とは女性との人間関係に尽きるとしみじみ感じてきた。保育者は全員女性であり、毎日の送り迎えの保護者もほとんど女性であった。最近では男性の姿も珍しくはないが、主体は女性である。
育児という仕事は大変な仕事で、それをこなしつつ仕事に精勤されることは大変なエネルギーを要す。また、身だしなみも男性以上に心を使い、美的表現力も男性では考えられないほどレベルが高い。この女性のエネルギーや心が21世紀を変革する力である。
保育者は子育てという大変な仕事を、楽しんで時間外の勤務もいとわず、子ども達が喜ぶ姿を思いながら夜遅くなってもいろいろと保育の準備をしてくれています。それは、その保育者の幼い頃の出会いの経験に支えられている。生まれて初めて出会うお母さんとのふれあい、幼稚園や保育園での良い先生との出会い、そんな人達の姿に憧れてこの道を選んだ人が大部分である。
そんな愛情豊かな中で育てられた保育者が、心の中に蓄えられた愛情を子どもの中に精一杯注ぎ、それが子ども達に受け入れられてさらに豊かになって返ってくる喜びを知り、より一層の充実感と満足感で意欲的に保育に取り組み、子ども達の成長を自分のことのように喜ぶ。この愛情なくして保育の道は歩めない。
そしてこの充実した保育は、卒園式には顕著に現われる。子ども達も担任や他の保育者たちも涙を浮かべて別れを惜しむ。こんな社会が他にあるだろうかと思う。
誰よりも幸せで充足した人生を謳歌できるのは、このような充実した保育をして成果を揚げた保育者自身であり、子どもから多く学び、自ら成長し、子ども達から多くの宝物を受け取って、自分の人生を幸せに生きる原動力として子ども達に感謝している。そして子ども達と達成したさまざまな経験は生涯に亘って保育者の自信となり心の支えとなる。毎日の保育は大変な仕事であるが、それを乗り越えて必ず自分が何をやってきたかを悟り、感謝のうちに生きていくことを知る時が来ると思う。
保育とは保育者が若さと情熱でその使命を全うして、自分自身の人生をも輝かせるための最高の機会と思っている。保育者も、そして保護者の皆様も、それぞれに与えられたこの機会を最大限に生かしていただきたいと願っています。
何よりも大切なことは、毎日の子育てを楽しむ心と思います。子どもは喜びを見つける天才です。その心を学び、共に感じ共に生きていきたいと思います。そういう毎日の中で知らず知らず親子の絆が育ち、生涯幸せに生きる道を見つけることができると思うのです。
親に感謝でき、先生に感謝でき、友だちや先輩や後輩や自分を取り巻くさまざまな人々に感謝でき、遠く祖先から綿々と受け継がれてきた自分の生命やこの社会、この地球に感謝できる心を持つ人は、人からも感謝されて幸せな人生を送ることのできる人となる。愛情も感謝も人に与えることで自分が豊かになる不思議なものである。
たとえば挨拶。明るい声で挨拶をしている人には、いくつもの元気な挨拶の声が返っていく。中には挨拶を返さない人もいるかもしれないが、思いがけない人が温かい言葉をかけてくれたりもする。そんな沢山の挨拶をもらってだんだん元気が出てくるようになる。朝の挨拶は一日を快適に過ごす第一歩である。
しかし、幼児の頃に元気に挨拶できていたはずの子が大きくなるごとに声が小さくなり、ついには全く挨拶をしなくなってしまうことがよくある。子どもが挨拶ができないと叱る大人もいる。だが、それは子どもではなく、大人の姿勢が問題ではないだろうか。
朝夕の送り迎えの保護者の方には、気持ちよく挨拶をされる方、挨拶をされない方、いろいろである。概して挨拶をされる方のお子さんは、素直であるように思われる。先生にもすぐ懐き、可愛がられる。早くに担任と信頼関係が出来て、さまざまな面で伸びてくる。しかし挨拶をされない方の子どもさんは、たとえば自分が先生に懐こうと思っても、お父さんやお母さんの態度を見て、懐くに懐けず、戸惑い、なかなか信頼関係が作れない。そしていつまでもぐずぐず泣いて、両親からも持て余されたりするが、決して子どもの責任ではない。些細なことに見えるが、保育の充実度も変わってくるほどの問題なのである。
小さな言葉ひとつ、葉書一枚が人間を親密にし、人間関係が変化していく要因になる。子どもは親を見習って成長している。親の心、親の行動を真似て成長する。
だから親が変われば子どもも変わる。子どもを責める前に、親が自分自身の行動はどうであったか、子どもの行動の原因は親のどんな処にあるのか、今一度考えていただきたい。子どもは親の鏡として行動する。それはあたかも親に幸せの道を教えようとしているかのようである。
子どもは多くのことを教えてくれる。私たちも日々自分の行動がどうであったか教えられ、気づかされることが多い。それは本当にありがたいことだと思う。
保育は保育園の中だけで行われているのではなく、保育園の保育にも保護者の皆様は大きく影響を与えています。その保育の在りようが本当に充実したものになるためには、保育者と保護者の皆様の信頼と協力関係がなくてはなりません。
保育者と保護者が本当に信頼し協力して保育に当たることができれば、保育の現場は素晴しい飛躍を遂げることでしょう。
そのきっかけが「挨拶」であるかもしれません。
高島第一保育園を信頼し選択してくださったことに感謝し、保護者の皆様の期待に応えるために精一杯努力をしていく所存ではありますが、保護者の皆様は傍観ではなく、共に保育をし、成長の喜びを分かち合える、そんな保育の環境作りが子どもの成長の基礎となると信じています。皆様と一緒に子育ての喜びを感じて成長していきたいと願っています。
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