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1999年2月

平成10年度も残りわずか。
子どもの心を大切に、その力を伸ばし、
良い思い出をつくりたい。

1月は「往ぬる・行く」2月「逃げる」3月「去る」といわれる慌ただしい年度末である。

1月、保育園は5日、自由登園から始まる。

学校などの施設では8日が始業式、31日まで24日であるが、その内、日曜日は4日、祭日1日、土曜日が4日のうち隔週で2日が休みであるから、合計7日休みがあり、1月の授業日数は17日である。

2月は28日しかない短い月で、日曜4日、祭日1日、土曜2日が休みで21日。

3月は去る。20日に卒業式とすれば、その間日曜日2日、土曜休1日、出校日は17日。

学校ではほぼ55日が授業日数であるが、寒さで風邪など引けば、それがさらに短くなる。

保育園では1月5日に始まって、3月31日まで70日間開園しているが、この3ヵ月は保育のまとめであり、子ども達の成長の充実期にあたります。子どもの心の中に、生涯残る楽しい思い出を築き定着させるのは、この3ヵ月の保育にかかっている。

卒園する子ども達、3月で退園する子ども達にとっては、保育園生活で一番鮮明に、物事を記憶できる時期で、一生心に残るようことも多い。その記憶が出来る限り楽しく、生涯の心の糧となるよう配慮していきたい。

卒園児から、また卒園児の保護者の方から新年の年賀状をいただく。保育園の楽しかった思い出が綴られ、その気持ちを忘れずに頑張ってくださっている様子が伝わってくる。保育の仕事に携わる者として、そんな心にふれ、本当にこの仕事を選んでよかったと思う。

かつての卒園児が親となり、我が子の入園申込に来られる。子ども時代をなつかしみ、我が子を宜しくとわざわざ遠くから来られたりもする。

学童保育も増え、自分の家のように気楽に遊び、居心地良い様子であり実にうれしいと思う。

今は県外に住まわれている方でも岡山に来る用事があったので、と立ち寄ってくださって思い出話を伺う度、本当に期待に応えることの出来る自分であったかと反省し、当時の保育の未熟を恥じることも多いが、そんな自分をわざわざ訪ねてくださって懐かしんでくださることが有難く胸が一杯になる。

32年間、保育に夢を架け、新しい保育文化の創造を求め、未知の分野を開拓してきた。現状に甘んじる人達との距離は遠く、理解されない事も一杯あった。それを承知の上で選んだ我が道であった。まだまだ目指すものは先にあり、道は遠く続いているが、この道を精一杯歩いてきて良かったと、厳しいけれども幸多き人生を生きて来れたことを感謝しています。

自己の向上のために、挑戦し続けることの意義を思い、時間を作って書の世界を謳歌し、無心になって天地の声を聞き、自らの生き方を問うて生きたいと思っています。それは自分に閃いた言葉を形にし、一人でも多くの人に伝えていくことでもあります。伝えることは同時にその人に問うことであり、自分自身が試されることでもある。批判を受け、忠告や意見をいただき、我が道を模索し軌道修正していく。常に前進あるのみである。

 

志者王道也 悟吾天命 帰依人類之生成発展為事也

志は王道である。それは私が天から授かった使命を悟り、大いなる存在の威徳に心を傾けて、人類の生成発展に努力することであると、そう私は思っている。

 

志は士に心と書くので、武士の心とも言われているが、そういった偏狭な見方でなく、道徳をもって天下を率いるものの志をもって生きたい。

最初は小さな志であっても、実践することによって実現し深められる。毎日生きる目的を持って行動し、自分で気付くことで体験を積んでいくうちに、自分の使命がおぼろげながら見えてくる。毎日の生活にも自分の目的や使命が定まれば張りが出来、輝きが生じてくる。その道を歩き続けることによって活路が開けてくる。

天は、自然界のもの全てにそれぞれ生きる力と役割を与えられている。自分の天分は何か、使命は何か、それは自分自身にしかわからない。気付くことができるのは本人だけである。

保育とは、その天分を是認して、その道を開いてやることであると思う。それは保育者が担うべき大きな責任である。その責任を果たすために一番大切なことは、子どもに愛され親しまれて人間関係作っていくことである。

保育者の学校での成績とか、保母資格とかは子どもには全く関係のないことである。子どもは、その心だけを見ている。

子どもが保育者に心開き信頼しないと、心からのびのびとした自由な行動は生まれない。また保育者を信頼していると、その言葉にもよく耳を傾け、行動を真似る。学ぶとはまず真似ることから始まる。赤ちゃんの時から、学びは始まっている。寝ていた子が寝返りをうち、ハイハイを始め、やがて起き上がって歩くようになる。言葉が出始める。それらすべては大人の行動を見て、真似て、それぞれの課題と問題の中で精一杯挑戦している。

いろんなことに意欲的に挑戦し、保育者も「出来る」「出来た」という喜びを共感し、子ども達の得意顔に対して暖かな笑顔と言葉で応える。出来ることが当り前と思っている大人の感覚では、次第に子どもの「出来た」喜びの気持ちが失われ、意欲をなくしてしまう。そうなればその子にとって十分な発達がなされなくなってしまう。

大切なのは心であり、その時の結果や能力ではない。子どもが喜びと意欲を持っている限りは、挑戦しゆっくりであっても前進を続けるが、挑戦することに喜びがなければ、やがて成長は止まってしまう。その心を育てるのが保育である。

子どもの行動は、大人から見れば無駄なことをしていると見えても、その中から多くのことに気付き成長するための大切なステップである。寒さの中で泥遊び、砂遊び、毎日毎日同じ繰り返しを飽くことなく続けている。繰り返しは決して徒労ではなく、楽しい学習なのである。そして同じような行動の中から多くのことを学び、自分自身を磨いている。小さな体験からさまざまな発見をし、自然から多くのことを学ぶ。この行動から夢や創造が芽生え、発展していく。

夢を失った大人達には理解されない世界であるが、この世界を知ることが子育ての第一歩である。子どもと同じ目線で、とは本当に子どもの心を理解することから始まる。

保育者もこの原点を忘れがちで、自由保育が知らぬ間に放任保育となっていたり、一斉保育を施して画一的な管理保育に流れ、子どもの芽を摘んでいる。

よい保育、よい保育者とは何であるのか。保育園とはどうあるべきなのか、何が子どもの成長にとって大切なのか。その基本になる考えをはっきりとさせて、その上で子ども達とって好ましい保育環境を構築させていかなくてはならない。保護者の皆様にも、子育てとは何か、その意識改革が迫られていると思う。

親が子育てや自分の人生に夢を持ち目標を持っていれば、毎日が楽しく子育て冥利につき、親子の絆も盤石である。

高島第一保育園では、少しでも子育ての悩みを解決し家庭の幸せに役に立つようにと願って、「子育て支援」に積極的に取り組んでいます。夢のある家庭、楽しい子育てができるように念じています。どうかご活用ください。

先日、NHKで教育問題を取り上げた番組が放映されたそうである。私は見ていなかったが、討論の中で学校の先生達は、今日の教育の危機は幼児教育が原因であると異口同音に言われていたと聞いた。

幼児教育にも勿論問題がないとは言えないだろうが、教育の現場の先生方が責任を回避して、幼児教育だけに責任転嫁することは正しいのだろうか。もしも幼児教育が悪いので手の施しようがないとのみ言われるのであれば、その先生には即刻教育から手を引いていただきたいものだと思う。もしも我が子を預けるのであれば、そのような先生にはお願いしたくない。

たとえ間違った幼児教育が施されていようと、子どもに愛情を持って、「自分なりに精一杯努力する」と言われる先生にお願いしたいと思う。そのような子どもに対する愛情の感じられる発言をする先生が現場にどのくらいおられるのだろうか。

幼児教育が間違っているとするならば、まさにこのような愛情の不在にこそ問題があると思う。それを学校教育では自分の管轄ではないと責任の回避をするのだろうか。

小学校に行った子どもに小学校と保育園のどちらが楽しかったかを尋ねれば、保育園が楽しかったと懐かしんでくれる。保育園で生き生きしていた子が小学校で生彩を失う。幼児教育と学校教育のどちらが原因で子どもは苦しんでいるといえるのだろうか。

教育の現場では多くの問題を抱えて、行政もいろいろな方策を考え出しているが、教育にとって何が大切かという基本的な理解が欠けていれば、どんな方策も意味をなさない。

教育者を選ぶことの出来ない現状では、家庭での親子の絆をしっかりと育む必要がある。子どもの心をまずはしっかりと理解して、自分がどのように我が子と向かい合うかである。

子どもは閃きで行動する。それは大人の常識では図れない。その心をしっかりと受け止め、感性を育ててやりたい。信頼の絆の中で、創造の芽を充分伸ばしてゆける素地を今のうちにつくりあげてほしいと念じています。どうか価値ある人生を親子で見い出して行かれますように。

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