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1998年3月

創立30年の創造の保育実践の歴史を踏まえ、
保育の理念を明らかにして、
保育者と保護者の保育を共通の理解の上に構築する

この高島第一保育園では、日々の保育実践を大切にし、さまざまな計画やその成果・反省を記録しそれらをまとめて保存してきた。そのため新任の保育者も保育に戸惑うことなく、先輩の残した保育実践の記録をひもとき、それを参考にしてそれぞれの工夫を加えた創造の保育に取り組むことができている。日々の保育の記録は、決して抽象的な保育理論ではなく、計画をたてることで、子どもがどう反応するか、その計画がどのように子どもの心身の発達に寄与するかを保育者が考え、実践し、結果を考察することでより良い保育の在り方を模索していく。そのようにして、自然に保育する心が育っていく。

保育の理念は大切だが、頭だけで考えられた理念であってはならない。頭で考え、行動し、日々の実践のなかで少しずつ築きあげるものだからである。頭で考えても、実践がなければ現実から次第に離れていく。現実を把握した上での理念であるべきである。

この保育園を始めるまで、私自身、保育については全くの素人であった。今までの日々の蓄積によって保育についての考えや子どもの素晴しさを認識してきたが、三十年前は、何も知らず保育に関わった事もなかった。ただ学校教育には青年時代に携わって、情熱を感じ、教育について共に語る友や、立派な先輩と出会い私自身色々教えられ、育てていただいたと思う。

半世紀ほども昔のことになるが、岡山青年師範学校を卒業し青年学校の教員となった私の最初の勤務地は、岡山県内で唯一つ、上道郡富山村立国民学校(現在は岡山市内)に併設されていた富山村青年学校であった。

当時は師範学校が唯一の教員養成校で、国民学校(小学校)の教員も皆岡山師範の出身であった。富山国民学校は、師範学校の代用附属国民学校としていわばエリート校であった。その国民学校に併設されていた青年学校の専任の男子教員は私一人で、ほかは女子教員一人という小規模校であったが、附属の国民学校(小学校)には殆ど一年中岡山師範から教育実習にくる学生がおり、国民学校の先生はその指導員も兼ねておられることもあって、人物的にも学業成績においても優れた方が抜擢されていた。

そこで私は青年学校を一人で任され、また岡山師範の辞令によって富山国民学校の高等科の農業における岡山師範の教育実習生の指導の任も与えられていた。

当時の日本は、農は国の大本と言われるほどの農業立国で、学校教育のなかでも農業は重視され、教員も皆、農業を知らなければ教職が勤まらないほどであった。また大半の教員は農家の出であった。

そのような時代のなか高等科の農業を担当し、実習生の指導にもあたり、また地域の青年団運動にも参加し、夜はいろいろな集落での青年の集会に出向いた。青年団は地域を引き込んで、参加する年齢層も厚く活動していた。

2年あまりの勤務で、兵隊に入隊することとなった。大東亜戦争が始まり厳しい戦時下での青春や、教育に没頭して多くの素晴しいひとと出会い、地域の人々との交流が今の私を育ててくれた。今の保育創造への情熱も、この時に抱いた夢が芽吹いたもの、このときの情熱が形を変えたもののように思う。

保育園を始めて、乳児幼児から教わったことも多い。乳幼児の心の在り方、人間はどうあるべきか、どう生きるのが幸せなのか。人生は楽しいものであり、生まれてきて良かった生きていて楽しかったと、人生を謳歌することのできる人間を育てるのが教育であり、教育者とはそれを導く役割を果たす存在である。それは子どもの姿を見ていれば自然にわかることであるが、大人になるにつれ、特に学校教育のなかではそういう自然な心を忘れてしまいがちである。それは学校教育の基本を造り上げた人々に子どもへの理解が乏しかったためと思う。今の学校教育の在りようを見るたび心が引き裂かれる思いがする。

平成9年度は、神戸の北須磨中学の3年生の小学生殺害事件を始め、教師をナイフで殺害したり、学校に放火したり、大変な事件が続発しているが、これも氷山の一角に過ぎない。子ども達は必死に、学校教育に大きな課題を投げかけ、反省を促している。

文部大臣は、「心の教育」を言われる。遅きに失している感もなきにしもあらずだが、言葉だけではなくその「心の教育」を実践していただきたいものである。親が変われば子どもが変わるように、行政や文部省が変われば学校教育も変わる。学校教育が変わればもちろん教育者が変わり子どもが変わる。今の学校教育の現状は、日本の行政の在りようを映している。

しかし教育者も行政や制度や家庭に責任転嫁はできない。その教育者の周りにはそれに相応しい子ども達しか育たない。大事な子ども達である。大事に育てたい。その為には、まず、教育者が自ら学ぶ心を持たねばならない。

そのように教育行政に関わるもの、教育に携わるものが認識を新たに早急に「教育危機」に対処してほしい。

学校教育の七五三という。これほど大きなパーセンテージで学校・授業が嫌いで勉強に意欲がなく、何のために学校に行っているのかわからないと言う生徒が増えている。高校で7割、小学校でも3割を占める生徒が学校を拒否している。

学校教育は大変な時代を迎えている。

義務教育とは何か。

教育基本法第4条(義務教育) 国民はその保護する子女に、9年の普通教育を受けさせる義務を負う。

保護者は子女を普通教育を受けさせる義務を負わされている。国はその義務を負って、小・中学校に子どもを通わせている。その学校で登校拒否などが生じるのは事の如何を問わず学校と国の責任であるが、その責任を全く感じないのみか、保護者に責任を転嫁して糊塗して来ている。

子ども達の訴えを無視してきた結果が、教師の殺害事件にまで発展して来たのではないかと思われる。

良き思い、楽しい思いのないところには明るさも楽しさも醸成されない。これが今日の学校の実態のように思われる。しかも子どもには教師を選ぶことはできない。もしそれが出来たらなら、このような事態を引き起こすことは絶対にない。

保育園に於いても、子どもが保育者を子ども自身の意志で選べたら最高だと思うが、今の制度や通念の中では出来ないので残念である。

「三つ子の魂百まで」という。今の学校教育の人間形成が出来にくい環境では、保護者が子育ての大切さを充分認識して子育ての環境をつくりあげていくしか親子・家庭の幸せを守るすべはない。

そして私ども保育園はそのためのサポートを出来る限りしていくことが使命だと思う。そして今現在保育所を利用しているひとだけでなく、地域社会に輪を広げ、地域に開かれた、皆さんがいつでも気軽に遊びや相談に来られる保育園として活動したいと思っています。

園便り「だいいち」の巻頭言も25年間、毎月欠かさず書き続けてきました。つたない文章で自分の思いを書き綴っていて失礼の点も多いと思う。しかし私の気持ちをご理解くださって、それぞれの家庭を幸せに育てていかれる方が一人でも増えればと願っています。高島第一保育園の保育の心を理解してご協力くださっていること心より感謝します。どうか親子で良き思いを育て 幸せな家庭、幸せな人生を築きあげてください。

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