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1998年2月

子どもの素晴しさに学び、
良き思いを精一杯育てる保育を、
生活発表会を通して深めていきたい。

2月は逃げると言われる程、時は瞬時に過ぎ去る。今大寒の真っ最中子ども達は日が暮れるまで外遊びを楽しんでいる。

開園以来30年寒中のマラソンは欠かせない。今年も去る1月20日に行われた。また乾布摩擦は、プールが終わると5月まで毎日行われる。寒の真最中でも昼食後、素裸になって園庭に飛び出し北風をもろともせず、12時半のミッキーマーチの曲まで元気に楽しく遊んでいる。終わると床につき3、4冊の絵本の読み聞かせに満足して午睡。時折来客の方々は吃驚され、子ども達の逞しさに感動される。

薄着素足も開園間もなく始まった。保護者から風邪を引いたらどうして下さるのかとか、うちの子は喘息があるからとか、室内での素足は清潔を欠いているとかさまざまな苦情を受けて今日がある。子ども達は、園庭の土弄り、どろんこ遊び、水たまりをとても喜ぶ。しかし大人には「今日はどろんこ遊びをしてはいけない」と止められる。汚れると洗濯に困ると言うことであろう。

園外保育も危険だからと、行政に言われ、行う責任と配慮は園側に義務づけ、行政責任は回避してきた。調理保育も衛生管理上好ましくないと指摘され、安全保育が重視されてきた。

保育園は子どもの発達保障より、預かり保育に徹する事が使命との考え方が定着して、防貧対策とも解釈される保育園に勤務する保育者は社会から認められる体制では無かった。

幼保一元化問題も歴史は古い。幼稚園は文部省の管轄、保育園は厚生省と二分化され、次第に子どもの差別化が進んだ。幼児教育施設は幼稚園、託児施設の保育園と目的が二分化して、保育園では子どもへの教育的配慮が欠けるという印象を大衆が持つようになった。当時の幼保一元化問題は、保育園側からの発想ではなかったかと思う。

今まで文部省が進めてきた教育の意味をもう一度問い直し、分析し、是正して行くことはできないものであろうか。教育の現場で、子ども達が苦しみ喘いでいても教育者が見ぬ振りをし、自分の責任として受け止めることなく、家庭や社会に責任を転嫁し、自己の教育を正当化し、正しく責任をとることが殆どない。行政組織や社会のなかで教育が聖職化されすぎている。

昨年の神戸の少年による殺人事件についても学校長をはじめ管理職、クラス担任の無責任さや教育行政者は学校管理についてどう判断されているのか。学校長をはじめ管理職者に管理職手当が支給されているにもかかわらず、このような大事件にあまりに甘い行政対応が窺える。教育者がサラリーマン化された今日の教育行政の実態の中で真の教育は行えない。責任を感じない責任をとれない教育に真の教育は有り得ない。

片や安全保育が重視されている保育園では、怪我の大小を問わずその対応を誤ると大変な問題になる。保護者からも行政からも詰問され、特に生死に拘わる問題が生じたら、その職に止まる事は不可能である。公立園でも同じである。私立では園の存続すら不可能になる危険をもはらんでいる。

保育園の制度も変わったが、実際に園を選択下さるのは保護者の皆様である。保育園はサービス業であり、そのサービスに徹する事が保育事業に通じて行く。保育園の雇用制度が、保母資格を持たないと保育園に勤務できないというもので保母資格がさも特権的なものと考えられてきた。公立などでは保母資格で採用され身分安定される。人間は初心を忘れ易いが、資格はその道のひとつの関門に過ぎず、その先こそ奥が深く、努力が必要であろう。

保育園は、制度も変わり、少子化が続いていく中で、これからの時代に存続の危惧を一杯抱えている。保育者の人材育成が大切な課題であり、従来の閉鎖的な保育園から地域に拓かれた保育園へ、多目的複合的な福祉文化の枠を広げて行く。揺り籠から墓場までの福祉文化に徹して新しい時代に目を向け、一時的保育、延長保育、学童保育をし、子どもの国では幼児教室の2歳〜4歳児を受入れます。また長年続けている《こばと文庫》も、園の内外を問わず、誰でも気軽に絵本に親しみ、楽しく遊べる環境作りに取り組んでいます。さらに昨年 月より《ドレミファパーク》を開設し月1回親子で保育体験が出来る会を開き、継続しています。工作したり歌って踊って親子で楽しむ会です。保育園や幼稚園に通っていないお子さんに声をかけて多くの方に参加して頂きたいといろいろ計画しています。参加費無料です。子どもの可能性を引き出す創意と工夫の子育てが今母親の皆様に求められています。そのお手伝いをさせて頂くのが保育園の役目でもあります。

2月は恒例の生活発表会があります。子ども達の心に残る大切な行事です。友達と競う、保護者にいい格好見せる為の行事ではありません。保育園では学齢でクラス編成しています。しかし4月生まれと3月生まれでは月齢による成長の差があります。低年齢ほどその差は甚だしいし、生活環境や個性の違いがあり、同一評価で判断はできません。保護者の皆様は吾が子の成長過程の一駒として発表会を見て頂きたい。その中でその子の個性を見定め、褒め激励してやっていただきたい。親の希望と子どもの個性とは必ずしも一致しません。しかし、まずそのありのままの姿を認めてあげてほしいのです。

発表会も台本どうり上手に出来てたと大人に映っても、子ども達はやらされた気持ちであれば時間を浪費したに過ぎず本当の感動を与えることはできない。子どもの集団を盛り上げ、子どもの社会化の善き体験であり、個性の違う友達と協調して仲間を作り、一つの課題を楽しく演じる善き思いは、新しい社会を楽しく創造する基礎作りだと思っています。

1年間同じクラスで担任とで織り成す楽しい集いです。健康に留意して全員参加してほしいと念じています。各担任は毎日の様に夜遅くまで大小道具などを真心込めて作っている。子ども達が可愛く思えばこその無心の愛の発露です。担任のその心が子ども達に伝わり、舞台と客席が一体となって盛り上げ、感銘させる。このように私たちは子ども達から心を学んでゆく。

生活発表会にあたり、皆様には連絡帳『こばと』を4月から紐といていただきたいものです。断片的ではあるが毎日担任と皆様とで綴ってきた記録でもあります。4月当初の様子、1年間の我が子の成長が、『こばと』と生活発表会の双方から読みとれ、感慨もさらに深まることでしょう。そして、今後の一年間の成長にも一つの指針となり大きく期待がふくらむことと思います。

保育は人なり。保育とは何か。具体的な保育実践を明示するため30数年の保育の積み重ねの中で高島第一保育園の栞(しおり)を作成し、具体的に明示したいと準備を進めています。その基本理念を体し、保育者が協調して保育を充実させます。親が変われば子どもが変わります。私の提言している「学幼児」(幼児に学ぶ)これが日本の教育を変え、日本民族の未来を明るくする道と信じています。

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