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3月は、年度の最後の月です。思い出を一杯ふくらませて巣立つ子ども達の保育園生活最後の月、4月から出発する新年度に向かって新入園児の受け入れ準備、先生方も異動の時期、そして平成8年度の保育をまとめ、毎年出版している「あゆみ」の編集、卒園児のための「おもいで集」の作成などといろいろと忙しい時期です。また、3月は「ひな祭り誕生会」「お別れ会」「お別れ遠足」などなど行事も盛りだくさん。新年度から勤務予定の新任保母も3月は研修で毎日出勤して、先輩の殆どの先生方に各々分担して指導していただきます。各クラスの担任は、各クラスの記録を整理し纏め製本準備に取りかかる、あわただしい年度末であります。それと平行して平成九年度の保育計画、指導計画を各自、各クラス、各年度ごとに纏めて、充実した保育を目指して、園の共通理解のもとに創造の保育を構築していく。真の創造、真の保育によって子ども達の心身の発達を促していきたいと念じている。
保育園の役割は、毎年毎年多様化しています。各保育園がどんな独自性をもって、保育を構築していくか、その各園独自の保育をどう選択していくかが、保育者、保護者それぞれの課題となってきます。
現在でも岡山市では、学区制・地域の枠はありませんが、今後は法的にも選択権を認めることになります。
独自の保育内容の構築は一朝一夕にはできません。保育は実践の積み重ねです。経験を積み、それが歴史と伝統として築かれて行きます。それは、保育者と子ども達の織りなすこの世にただ一つの芸術品です。保育園の方針というものはそれを支える土台なのです。土台がしっかりしていないと、その上にできるものも安定しません。保育に対する考え方が終始一貫して、それに基づき、試行錯誤の中で取捨選択していきます。時代の流れを把握しながらも流されたり迎合しないで独自の道を作り上げていくことは大変なことです。しかし、その時だけのニーズに流されて、一貫性に欠けたり、中身のない保育はいつかは社会から疎んじられていきます。そんな賽の河原の石積みのような保育はしたくないものです。
私達は保育に対する理論構築をしっかりした上で実践に取り組まないと、子ども達は吾が人生を空虚なものとし、台無しにしてしまいます。それ程乳幼児期は大切な時期だと考えている。
三つ子の魂百まで
昔から『三つ子の魂百まで』の諺は、誰も知っていることと思う。この言葉の意味について、子どもをとりまく大人達はどう理解し、どのような子育てを考えておられるのだろうか。経験を積んだお祖父ちゃん、お祖母ちゃんは孫のためにどんな子育てをして欲しいと思っておられるのか。また、私達保育者は、この子どもの大切な成長の時期をどのように理解して保母となり、どのような考え方をもって、現場でどのように子ども達に接しておられるのか、とても大切なことです。
保母養成校の先生や、また幼児教育の研究者といわれる先生方がいろいろと出版された保育原理や保育に関する図書が氾濫しています。私が保育園を開設した当初、昭和42年頃は書店には保育関連図書は僅かしか見あたらなかったものである。昭和40年代の終わり頃には相当数の本が出回り、幼児に早期教育を促す、早期教育図書により、幼児から学歴社会につながる社会風潮を作り上げ、その結果として家庭内暴力から校内暴力、非行、いじめ、自殺にと学校教育が荒れ狂う結果となってきています。それは人間社会そのものに大きな波を呼びおこし、地位、名誉、金を追い求め、競争闘争の社会にと変貌をしつつあります。育児書、保育原理の学者の説は仮説に過ぎず、それに基づいて保育の実践をした保育者たちは何をしてきたのでしょうか。その保育学者たちの仮説が正しかったのかどうか、反省すべき事が多いのではないかと思われるがどうでしょうか。
それは、本当に子どもと取り組み、実践の中で構築したものではなく、大人の頭で、机の上で構築したに過ぎないものも多くあったのではないかと思われることしばしばです。
高島第一保育園は創立30周年を終え、この4月には創立31年目のスタートを迎えます。
30年間の保育の経過記録、保育計画、実践記録も殆ど製本し、また10周年記念誌、11年目からは毎年『あゆみ』を発刊し、20周年記念誌、20周年記念名簿、乳児保育の実践などを作成し、課題として、高島第一保育園の保育資料をいかに後世に伝えて保育全体の前進につながるようにしたいと思っていました。しかしここ3ヶ年ほど、いろいろな事のために未整理の事もあり、また30周年記念誌も未完のまま年を送ることとなったが、それらすべてを整理して社会に公表し、保育研究者のための資料として有効に利用されればうれしく思います。
平成8年度の生活発表会も、30周年の纏めとしてふさわしい、充実した発表を子ども達から見せていただきました。「やった」という満足感、喜びを満面に浮かべ、充実した人生へのスタートを切った自信に満ち溢れている。このような喜ぶ心を大切に保育に専念してやりたいものです。
発表会での子どもの心、パワーはここだけに止めることはもったいない。この映像を記録し、図書館などにも寄付して保育に関心を持つ人の研究、実践に役立て、また、子ども自身のすばらしさを広く一般の人に知らしめたい。なによりも楽しんでいただける映像です。
保育とは技術を与えるものではありません。保育者や親の魂が子どもの中で生き続けるものです。どんな心で子育てに取り組んでいくかが子どもの心を動かしていく。
保育とは、子育てとは、技術や方法論ではなく、どんな心で子ども達のために精一杯努力し、生き続けるかにかかっている。
私も昭和48年4月号から毎月「だいいち」の巻頭言と称して以上の様なことを書いている。その時その時の思いつきや重複、舌足らずな文章もあったように思う。特に月末はいろいろな用事が飛び込む。全くその時々の思いつきで埋めてしまったこともあり、そうでなくとも読みづらい字や文章でご迷惑をかけましたが、24年間1回も欠かすことなく書き綴り、その記録は10周年記念誌、毎年発刊している『あゆみ』に掲載し、記録のすべては末永く残っていきます。
ささやかながらも、欠かさず続けた巻頭言は、はからずも現代日本の24年間の政治、経済、社会、教育の変化をうかがう資料ともなっている。私もこの巻頭言を基に自分と日本の保育の30年間を振り返り、今後の保育がどうあるべきか、改めるべきは改め、よいものはそのまま続けていくためのよすがとしたい。
24年間毎年12回書いて288回書き続けている。1年間の保育日数が約280日。1年間保育園で毎日書き続けてきた計算になる。
記憶は薄れていく。書き残したことは、拙くともその時の気持ちや空気をつたえるもので、後から書いて再現できるものではない。これが本園が築いた保育の一ページである。
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