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2000年12月

よい教育は後世に残り、人の心に残る
21世紀にそんな教育を残していくために

今月いっぱいで20世紀は終了し、新しい21世紀の時代に突入する。自然界も、人間社会に於いても混沌たる様相を示している。アメリカの大統領選挙もゴア、ブッシュ両陣営の票数が伯仲し、どちらとも決めかねる状況で、票の再集計をどうするかで争いが生じている。日本の政界も森首相の支持率の低下が著しく、その不信任案を巡って与党の内部で加藤派山崎派が反旗を掲げ、与党内部の亀裂が生じ、結局は森政権続行となったが、21世紀を目前に混乱は深まるばかりである。
私は大正12年1月10日生まれで、78年の歳月を20世紀の時代の中で過ごしたが、その20世紀がもうすぐ終わると思うと万感胸を去来する。いろいろなことを経験し、苦い失敗の思い出や、その中でいろいろな人に助けられて生かしてもらった恩など、終生忘れられない思い出である。感謝はしても恩に報いることができないままの申し訳なさも一杯である。思い返して一番心の痛みを覚えるのはひとの信頼を裏切った行為の記憶である。一番喜びを感じるのは人様の役に立てたと実感できた思い出である。人生の喜びとは人様に誠心誠意、心を注いで生きることであり、それが人生を謳歌することではないだろうか。
これから残された人生の時間を、どう生きていくか、どう恩返しをしていくか、私自身のまとめの時期である。時間は寸時に過ぎていく。一日一日が勝負である。老齢の人間の心境は、若い人には理解しえない。私もかつて老いた父の気持ちが分からず、今になって後悔することが多い。この年になって初めて父の気持ちが分かるのが人生の懐の深さかもしれない。いくつになっても新しく知ることに出会えるのは驚きである。
若い皆様にいろんな事を伝えようとしても伝わらないことも多いが、伝える努力を続けていけば、いつかは理解していただけると信じて精一杯努めることが私の務めかと思う。気持ちを伝えるだけでなく、実績や何か形になるものを残す。やりたいことに積極的に取り組み行動していくことが限られた人生の総仕上げではないかと考えている。
人間は何のために生まれ、何を為すために生かされているのか。その問いを常に自分自身に問い、自分なりの答えを明確にして人類社会に役立つ人生を全うすることが、生きる上での最高の幸せではないだろうか。
他の人と多少意見が食い違っていても、それは生活経験や生きてきた時間などの差である。この老齢を迎え、妥協することは敗北であり、吾が人生は意義のあるものでありたいと念じている。
「先見・開拓・創造の保育」第3巻を8月に、第4巻を10月末に発刊した。この夏病気をしたために予定が遅れたがどうにか発刊できて、一息つけた。第3巻は岡山同郷社の社長横山章氏に序文をいただいたが、病気をし、治ってからも自分で車の運転ができないため、11月になってやっと氏を訪問して本を差し上げることができた。
その時に氏のご子息が台湾を旅行され、その長幼の序がきちんと整っていることに感動し、日本も見習わなければならないと話されたということをお聞きした。私はそれまで台湾の文化秩序についてほとんど知らずにいたが、2日ほど経って林語堂書店の社長に用事があり書店を訪ねたところ、「台湾人と日本精神」(著者・蔡焜燦)という書籍が平積みされているのを見、社長の推薦もあって早速購入し、読んで感動させられた。
故司馬遼太郎氏の有名な著書「台湾紀行」は台湾でもベストセラーになったそうだが、私は手にしたこともなく、台湾問題にも関心が薄かった。
しかし、日本領土であった当時の台湾で教員をしていた人達が、戦後、台湾の同窓会に招かれる話は時々耳にした。不思議な思いと共に心に残っていたが、関心が薄く、詳しい話を聞こうともしなかった。しかし今回「台湾人と日本精神」を読んでそのことを思い出した。
戦後の蒋介石政権によって台湾が制覇されて55年。その間ずっと私は台湾の政治情勢に無関心であった。
明治28年(1895年)に日清戦争で台湾が日本の国土となり、1945年に中華民国に接収されるまでの50年間の日本の統治の在りようを、植民地としてではなく、内地の延長主義として心血を注いだ台湾総督の政治を、この本を読んで初めて知った。現在の台湾の対日感情の良さは、マスコミなどが報じている通りであり、この本の著者も単なる「親日」ではなく、自ら「愛日家」と称してはばからない。そして「日本人よ、胸を張りなさい」と表紙にも書かれ、今の日本への励ましの思いがこの本を通して伝わってくる。
第3代台湾総督の乃木希典などは、日本の台湾領有を「乞食が馬をもらったようなもの」と語ったそうだが、それは当時の日本の国力の無さ、貧しさを、馬も飼えないような貧しい乞食に例えて、そんな日本がどうして台湾などを統治できようか、という意味である。当時の日本が台湾を統治することが容易なことではなく、非常な困難と苦労のなかで、歴代総督が台湾統治に当たったことが偲ばれる。
台北の下水道は、東京市よりも早く整備され、あらゆる身分の人が教育を受けられるように、貧しい家庭には経済的な援助までしながら就学を奨励した。戦後の台湾の経済がこれ程成長した要因として、日本の統治時代に整備されたさまざまな産業基盤整備と教育があげられる。台湾の近代史はこうした日本統治時代を抜きにしては語れないと著者は述べる。
台湾近代化の父・後藤新平。彼は第4代総督児玉源太郎の右腕として、民政長官に赴任。明治31年の日本の国家予算約2億2千万のところへ、台湾開拓・整備予算として、その4分の1以上に当たる6千万円という莫大な金額を要求した。
日本の統治政策は世界にもその類を見ない。最終的には4千万円の予算の獲得となったが、近代化政策が急ピッチで進められた。
嘉南平野を緑の大地に変えた8田與一。大正10年治水工事着工、烏山頭ダムは当時東洋一の規模で、大地を網の目の様に走る水道は実に合計1万6千キロで万里の長城の約6倍である。かつて一面の荒れ野原だった土地を緑の大地へと変え、台湾最大の穀倉地帯が誕生した。
台湾の土になった明石総督は産業基盤整備の外司法制度、教育改革に取り組み、「台湾教育会」はその後の台湾の発展に大きく寄与する。台北師範学校、台南師範学校、台北工業学校、台中商業学校、農林専門学校をはじめ多くの学校が開設された。昭和20年の時点で台湾の就学率は92パーセントに達していたという。
この本では、統治時代に純粋な教育を受けることができたと、日本の教育を称賛しており、日本の教育が台湾の識字率を高めたばかりでなく、今日の台湾の発展の基礎を築いたことは衆目の一致するところと言われる。戦前の日本の教育水準は非常に高く、教師達が皆教育に情熱を燃やしていた上に、何より愛情を持って子どもに接していたことを伝える。
日本人教師と台湾人生徒の間には強い師弟関係があり、戦後も教え子達が日本人教師を恩師として、日本まで訪ねたり、逆に日本からやってくれば教え子が台湾中から集まって来、銘々自分宅に招こうとして恩師の奪いあいが生じるともいう。
「教育勅語」「修身」教育の中で、「犠牲的精神」に感動して今日がある、と言う人も多い。
このように、日本が台湾の統治に内地以上に心を配って施政をなした業績を中国領土となってから徹底的に粉砕されつづけた55年の後、今ようやく台湾人による政治が行われるようになり、台湾と日本の絆は50年の業績の中で日本人の心が台湾に残され、私達日本人は、先人の築いた業績を今一度見直し、21世紀に日本は何を伝え残していくべきかを考えるべき時を迎えている。かつての日本人の残した教育や心を取り戻し、台湾に見習って日本の再建を図りたいものである。台湾とは逆に、日本はかつての日本の心を失い、心を失った学校教育が横行し、公に奉仕する心を失って、行政や政治体質も国民から批判され、呆れられる中、当分混乱が続いて行くだろう。
今の日本の体質は、戦後の50数年の間に培われた残骸である。このような、敗戦によって自分の誇りを失い、欧米の真似ばかりをしてきた現代の日本人の心を変えるのは大変である。その基盤となるのが教育の改革であるが、行政は制度の改革はできても、教育者の質的変革は難しい。しかし教育は制度ではなく、教育者の心の在り方によって善し悪しが決まる。学歴や資格、試験でどんなに優れた成績をあげても、それが教育者に向いていることにはならない。生徒に愛情を持ち、最初は教師として能力が低くとも、教育者として日々努力をする人間こそが本当に優れた教育者である。
そのような成長しようとする人を人材と呼ぶ。そして日々の努力により、無くてはならない宝となった人材は「人財」である。成長する努力をする前の人は「人在」、努力を忘れた人は年を経るにしたがって有害な「人罪」となる。
教育は「人材」や「人財」を育てるためにあり、その任に当たる人も「人材」であり「人財」となる努力をしなくてはならない。しかるに、ただ就職先として安定しているなどの理由で教師となっただけの「人在」や、努力を忘れ、他の「人材」の伸び芽まで摘んでしまう「人罪」が教育の現場に大変な割合で存在する。確かに「人材」や「人財」もいるが、非常に過酷な環境の中で、辛い思いをして教育をしているはずである。
30数年保育事業に携わり、保育は人なり、と痛感する。保育という仕事は子どもが本当に好きでなければ出来ない。子どもへの愛情と、仕事への喜びがなければ、こんなに大変な仕事はできるものではない。そして子どもと共感し、感動できる感性の豊かさがなければ出来ない仕事である。子どもの感性は鋭く、大人の心を見透かしている。そんな子どもに信頼される人間性が要求される。子どもは保育者を選択する力を存している。そんな子どもの心に叶った保育の確立のために、これからも精進していきたい。

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