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2000年11月

学校教育・保育所保育の大変革を目指して

1ヵ月があっという間に過ぎ、園だよりの発行の時期が来る。毎日の仕事に追われ、何ら準備も出来ないまま、それでも思うことを書き綴って27年と8ヶ月、332回目の巻頭言を書いている。
この27年の巻頭言をまとめて、「先見・開拓.創造の保育」と題して第1巻を平成10年11月に発行し、第2巻は平成11年7月に、第3巻は平成12年8月、第4巻をこの10月に発行してきた。今書き綴っている文章も、この調子で、第9巻として発行出来ればと思っている。
私は知識も乏しく、文章も下手である。誤字・脱字もいっぱいある。毎月の園だよりも月初めには保護者の皆様に配布しなければならないため、文章を練ることもできず、何とか原稿を埋めるのが精一杯で、内容も整っておらず、読みにくい文章となり、恥を承知で書き綴ってきた。時には誤解されるような表現もあり、いろいろ指摘を受けたりもしてきた。
今月はこんな内容で、と思っていても書き綴っていくうちに、全く違った方向に進み、当初書く予定のことは書けず仕舞いだったことも多い。
このように筆の赴くまま書き綴ってきたもので、読まれることを目的にというより、私自身の考え方を明確にするために書いたようなもので、出版するかどうか迷いもしたが、この保育所保育や保育・教育行政の変革期に、少しでも参考となればと思い、敢えて出版することにした。文章も大筋には手を加えず、ただ誤字や脱字を校正して編集している。
私は保育園を設立するまでは、保育について無知であった。設立してから、いろいろな会議や研修会、またさまざまな保育関係者と出会って、先達から学び、自分がどんな保育園を運営しようと思っているのか、どんな保育を保育者にしてほしいと望んでいるのかを考え、自分なりに夢を持って保育園の運営に当たってきた。言葉たらずで充分な説明もできないまま、問題提起だけをして、保育者が理解出来なかったり、保護者に反発されたことも多い。それでも一歩ずつ前進し、高島第一保育園の独自の保育を、実践を通して積み重ねてきた。
行政は時代の波の中で揺れ動き、一貫性に欠け、また責任の所在も人の異動でうやむやになり、結局無責任な行政対応になりやすい。行政指導はあるが、それは果たして有効適切であるか疑問の点も多い。
保育事業に命を賭けてやろうとすると、行政の対応には疑問点もいっぱいある。画一的な保育観で、現場の実態をしらないまま行政指導をしたり、社会がこの先どうなっていくかの展望も持たないその場しのぎで後手後手の保育行政である。保育行政の担当者も、その実務がどうにか判り、仕事も覚え、人間関係も分かり、これから現場と親密な話し合いが出来たり、保育の運営が理解できるようになった時にはもう異動の時期が来ている。まして縦割行政の中では、同じ地方自治体内部でも、中央での省庁が違えば連携もできない。保育所は厚生省児童家庭局の管轄で、県の家庭福祉課、岡山市は保育課の管轄になっている。
変化の激しい、激動の時代を迎えて、保育所行政も変化しているが、中央での考え方が末端まで行き渡っておらず、中央の改革も末端では理解出来ず、絵に描いた餅になってしまっている。今のような非常時でなく、平常でも、厚生省の考えを末端の役人が理解するのに10年かかると言われるほど、中央と地方の行政には落差が激しい。
私立保育園連盟の大会などで、厚生省からの通達による保育行政の説明をされ、厚生省の考え方を踏まえて対応しようとしても、末端の地方自治体の担当者がそのことを全く理解しておらず、なかなか話が通じないばかりか、理解するための努力や、中央への問い合わせや検討もされないことが多い。私達保育の現場や庶民に対して素っ気ない扱いをされるが、上部機関には敬遠して連絡や情報入手もしようとしない。
保育所は、市町村長が措置した子どもを、行政に代わって預かる役割を果たしている。行政は、その代行者としての現場の保育所に、もうすこし配慮をしても良いと思うが、逆に主人が使用人に対するが如き対応で、保育所の経営者は行政に常にぺこぺこと頭を下げることを余儀なくされている。そして行政は、権力のある人や上手な行政対応のできる人が経営している園には矛盾を承知で、手厚い対応をするが、それが出来ない園に対しては、いろいろな理由をつけてその要望を阻止するようなことも多い。行政は、子どもや保護者のために努力している園に充分な配慮をするべきと思うが、それが無理であればせめて平等に対応してほしい。できれば私達の岡山市には、差別行政というレッテルを貼らずにすませたいものである。
民主政治、民主行政とは何か。今の社会が行き詰まっているのは、住民自治の基本を失っていること、行政が心を失っていることに最大の原因がある。この壁を破ることは至難の業であるが、それが出来なければ新しい時代の社会、心豊かな共存社会の時代は訪れない。
その新しい時代を切り拓く人材育成の第一歩として、乳幼児期の子育て・保育に重大な役割が課せられている。
少子化対策は、待機児童の解消ではない。21世紀を生きる人間を育てる基礎となる保育所保育の内容は、もっと真剣に論じられるべきであろう。私は、保育とは保育者の心の在り方が子どもに伝えられることだと信じている。たとえ能力は低くても、子どもに愛情を持って一生懸命精進するならば、必ずその心は子ども達に伝わる。子どもは親や保育者の心を見て育っていく。私達の心が子どもの心に生涯受け継がれていくのである。それは責任の重い、大変な仕事ではあるが、子どもに学ぶ心を持って取り組むと、子ども達が力を貸してくれて、幸の大きい夢のある仕事でもある。この仕事は保育園と保護者の皆様との連携があり、共に子どもを愛し育む心があって初めて可能となる。お互いに話し合って理解を深め、本来あるべき保育の実現に一緒に取り組んでいきたいものです。
高島第一保育園では、34年の保育の歴史を振り返り、その保育を見直し、35周年を迎え、より良い保育に取り組むために、今年の職員会議ではさまざまな保育の課題についての認識を高めるためにグループ討議を行い、お互いに情報を交換し、良いことはそのまま伸ばし、反省し改善すべきことはどうすれば良くなるか考え、子ども達の幸せのために必要なものは何か、保育者全員の共通理解と保育の向上を図っています。
今、21世紀を目前に、私達は大変革の時を迎えています。人間の目先の利害や打算で動かされていた今の世界を根底から揺るがす大きなうねりが生じている。10月初めには、今まで地震など考えられなかった鳥取で大きな地震が起り、岡山も震度5という強震に見舞われた。鳥取県西部の境港を中心に広範囲で被害を被っている。関東でも3宅島は地震と火山活動で島から島民が退去し、全国各地に離散して、なおも余震が続いている。北海道も有珠山の活動があり、全国、いや世界各地で地震や洪水などの災害が相次いでいる。これは、今の社会体制や人類そのものへの警鐘と思う。
もはや生活の方便中心の考えで生きる時代は終わった。これからは真心と、実践行動から生まれる深い叡智を必要とする時代となる。
素直な心を持つ子ども達は、現代の日本の教育の歪みに敏感に気づき、反発し、登校拒否したり、その歪みをダイレクトに受けて、いじめや自殺、殺人などの犯罪などの事件が起きたりしている。これは、やはり教育の本質が間違ってきている証明であろう。教育者と称しても、教育理念や哲学を持ち、信念に基づいて教育している人はどのくらいいるだろうか。また、そんな人がのびのびと教育に専念出来る学校の現場がどれほどあるのだろうか。教育者とは何かを充分に論議し、教育者の質的転換が図れない限り学校崩壊は続く。
私は、教育者はまず、子どもに信頼されなければならないと考える。本来、信頼出来る先生がいろんなことを教えてくれる場所は楽しいはずである。それが苦しく、居心地の悪いものとなり、子ども達はそこから逃げ出そうとしている。しかし、何故楽しい場所を失ってしまったのか。その原因から目を背けてはならない。
教師と子どもが対立し、子どもが教師に対し暴行という行為に及ぶのはなぜか。
教育の現場では普通は利害のもつれなどは存在しない。暴行や殺人事件はもっぱら感情のもつれや対立から生じる。何故感情の対立が起るのか、かつて子ども達が先生に抱いていたはずの敬意や信頼はどこへいったのか。
子ども達に不信感しか抱かせない教師は、教育者としてだけでなく、人間としても最低である。そんな教育者に担任される子ども達は不幸である。良い先生が時間をかけて育て上げた子どもの意欲や心は、短期間で破壊され、元に戻すためにはすさまじい努力が必要となる。そして子ども達には逃げ場もなく、先生を選ぶ権利もない。そして、いやな先生から教えられることは全てがつまらなくて不愉快であり、早く忘れたい気持ちを起させる。
教育改革はなによりも教育者の人格形成が文部省の最重要課題である。
私も高島第一保育園に於いて、意欲的に保育に取り組める保育者の人材育成の重大さを痛感し、その為にはどうすればよいか自分なりに考えて努力をしてきた。難しい課題ではあるが、保育の目的を達成するためにはどうしても避けて通れない壁である。
今、学校では集会などでわずか15分間ほども話を聞いていることができないという。
保育園での誕生会などでは、乳児から幼児までたくさんの子ども達が、1時間ほどの会を集中して楽しんでくれており、どうして小学校でそんな状態になるのか甚だ疑問である。
教育の現場に於いて見直しの必要なことは山積している。何より「自分が学校に行く立場だとしたら」「我が子の教育を任せる場としたら」といった、身近な視点を持って教育改革をしていかなければならない。数年後は今の保育園児も小学生になっている。保護者の皆様の人生観と教育観が、子どもの運命を変えていきます。我が子が幸せに育つような、そして出来れば教育の現場が楽しいものとなるような教育観を持って、子どもと共に歩んであげてほしいと願っています。

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