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子ども達に心を伝える保育を
| 光陰矢の如し。あっという間に、平成12年度第一期の保育を終え、夏期保育を迎えた。 今年度は高島第一保育園30数年の歴史を振り返り、今までの保育の実践を見直して、21世紀に伝えるべき保育とは何か、検討するべき年であると思う。絵本の保育、音楽の保育、体力作り・遊びの保育、絵画など、さまざまな出会いを経て私が信頼できると判断したそれぞれの分野の指導者により、その保育の基本を学び、長年に亘って研修し、保育の現場で生かした実践の積み重ねによって今日の保育の基盤が作られている。保育者は先輩が実践1を積み重ね、記録に残してきたその資料を自分の保育の参考にし、また先輩に直接尋ねたり、見習って行動し、保育の継承がなされてきた。多忙な保育の現場で保育について話し合う時間をとるのは難しいが、意志統一を図らなくてはならない時には極力設けるようにしている。 新任で、単数担任でクラスを受け持つと、1年間大変なエネルギーを使って保育責任を果たすことになる。しかし、その日々の実践の中で自分なりに考え、行動していくと、その独創が自分の力を高めてくれる。その独創によって自分の保育を作り上げ、保育の醍醐味を体験する。そのことによって人生は豊かになり、幸せになっていく。 この体験を得た者は、保育者として自己を発揮する機会を与えられた幸せな保育者といえる。組織の中で自分の夢を追うことが難しい今の社会の中で、どんなにささやかであっても自分の夢を持ち、その実現のために自分で考え、創造していく喜びを感じ、夢が膨らみ、「出来た」「出来る」自信と楽しみを知ることは人生のこの上ない喜びである。 そんな保育者の個性、独創性を育てることが園長の責務だと思っている。個々のささやかな短所を目くじらを立てて注意したり、声を荒げて叱ったりすることは、独創性の芽を摘むことになり、慎まなければならないと心掛けているつもりでも、表情に出る場合もあり、心bしなくてはならないと思う。 私も戦時中、戦後と教員を6・7年したが、その際校長先生から一言も小言を聞いたり、指摘をされたことがないほど自由に自分の思い通りの教育をし、今考えても実に恵まれた教員生活をさせてもらった。教育者の自由な発想で行えれば、教育くらい楽しい職業はない。生徒と向かい合って生涯に亘る人間関係の絆が結ばれる。時が経ってから会い、時には先生と呼ばれることが恥ずかしくなったり、未熟な教育者で申し訳無いと感じることもあるが、かつての教え子と気さくに話し合える付き合いは幸せと思う。子弟というより、友達のようで、私も彼等から学ぶことも多い。 保育園の保育者も、同僚同士気軽に思う事が言える人間関係であってほしいと念じている。 折角保育園を運営するならば、良い保育環境でしていきたいものである。その為には保育とは何か、子ども達の生涯に亘る人間形成はどうあるべきか、親子の絆はどうあるべきか、色々な家庭のニーズに応えて、本当に生涯に亘って意義のある保育サービスをしていく為にはどうすべきか、その為の保育環境、保育体制をどう整えるか、常に問続けている。 戦後50年。現在の保育制度は児童福祉の制度としては世界にも誇れる制度と言われてきたが、本当に利用される皆様の要望に応え、喜ばれているだろうか。保育雑誌や保護者から見た保育園は不満いっぱいが書き並べられていて、成程とうなずく面も多く、申し訳ないと思われることもいっぱいである。今の保育制度の規制の枠の中で、しかも責任は重くのしかかっている。あるべき保育の姿を求めて冒険をすれば更に多くの責任が生じるために2の足を踏む場合も多い。 児童福祉法改正に当たって、保護者の保育園選択権が認められたが、待機児童が多く、法的には権利が認められても、実際には行使できない法改正は無意味である。規制緩和をして、企業参入を認めることについても、具体的な変化はない。 現在認可されている保育園についても、先行きは全く不透明なままで、大きな爆弾をいっぱい抱えている。 認可保育園のうち、公立と私立の格差も大きな問題となっている。公立は莫大な公費を使っているが、それに見合った保育サービスがなされていないため、利用者の多くは公立を敬遠している。しかし市の財政悪化の現状の中でも、公立保育園の民間委託の声すら上がらない。公私格差の是正を図ることは、市民の皆さんにより良い保育サービスを提供するために必要と考えているが、行政はそれについてどう考えているのだろうか。 また、岡山市の幼稚園も利用が減少し、幼稚園の統廃合や、幼稚園・保育園の枠を超えた新しい保育・幼児教育の在り方を模索する幼保一元化の課題がある。大きな嵐を起す要因をいっぱい孕んだ今日の状況の中で、私達はどうしていくべきだろうか。 地域のニーズに沿った保育園作りをして、維持存続の方途を見い出そうとしても、今の保育行政の中で、将来の見通しが立たず、私立保育園の設置者にとって厳しい状況である。ともあれ、地域の皆様に選択していただける保育に精進し、職員が協力して、それぞれの独創と、その積み重ねの伝統を構築し、また、できる限りさまざまなニーズに柔軟に応えようと、一時保育や延長保育はもちろん、障害児や休日保育などなど、保育の先駆的役割を意欲的に取り組んでいます。そのために保育者の人材育成が大きな課題となっています。 新幼児研究会・福岡研修大会で、高島第一保育園は分科会のテーマの一つ「ことば」という課題を、今までの実践を踏まえ、アンケート調査などを加えて研究発表する。主任の北江紀子先生が発表者となり、今その準備をしていただいている。 日々の保育や職員の管理だけでも忙しい中で、更に大変なことをお願いしているのだが、普段の保育を見直す良い機会として前向きに受け止めて、一生懸命取り組んでもらえて本当にありがたいことである。 保育の中での言葉とは何か。私は、それは「ことだま」即ち心だと思っている。言葉は自分の考えである。それは行動の元になる、生きる力でもある。その考えがしっかりしていなければ、自分で行動ができず、自立もできない。その言葉は環境の中で保育者や親から子どもに伝えられる。保育とは保育者の魂を伝えることである。日々の行動、心、言葉の中から乳幼児が学んでいく目に見えないものが、一番大切であり、目に見えない心をどう育てるかということが一番大きな課題である。 昔から親に似ない子はいないと言われている。親は毎日共に生活する中で子どもに自分の生き様を伝えている。親が自己成長する意欲を持たなければ、子どもも成長することができない。親が自分の生き方をしっかりと持って真剣に生きていなければ、子どもも生きる力が育たない。大人は自分の生き方を自らに問い、考えて、子どもと共に成長していく事が子育てに一番必要なことではなかろうか。親も保育者も、子どもに物を教えるよりも、子どもと一緒に伸びていくことが大切だと思う。 音楽の保育について、本園では月に2日、小幡亨先生が石川県小松市から来られてマリンバ研修をしています。なぜマリンバ研修をしているのか。子ども達にマリンバを教え込むために研修しているのではなく、音楽に一生懸命に取り組むことを通して、音楽を楽しむ心を持ってほしいからである。その音楽を楽しむ心や何かを学ぼうとする意欲が保育をする心につながると思うのです。 保母資格があるから保母は勉強しなくても子どもの保育さえしていれば事足りるという考えは間違いです。色々なことに挑戦し、本を読み、音楽で感性を磨くことを意欲的に取り組まなくては保育者として良い保育をしたとは言えない。保育者の常に学び挑戦する心が子ども達に伝わっていく。 自分が謙虚になって学ぼうとする心を持てば、子ども達の成長や子ども達の学ぼうとする姿も見えてくる。その姿が見えれば、一つ一つ教えることも親身になり丁寧に伝えることができるようになる。ともすれば大人は出来るのが当り前と錯誤しがちである。子どものとき自分が何回も失敗を繰り返してやっとできるようになったことなどは忘れて、子どもに対して横暴な態度になりやすい。しかし、子どもが出来ないのは当り前だし、また個性もさまざまで、能力も違うのが当り前である。自分が努力することを忘れると、努力している子どもの姿も見えなくなる。子どもと同じ目線で物を見、感動を共有することなどできなくなってしまう。 マリンバ研修は大変である。研修している保母は、音楽が得意な人ばかりではなく、本当に苦しい思いで練習を積み重ね、仲間と楽しく合奏が出来るようになれば喜びはひとしおである。出来なかったことが出来るようになれば、無上の喜びと共に、自分自身に対する大きな自信も生まれてくる。その姿が子どもを感動させ、成長させる原動力ともなる。 今回の新幼研の研究発表も、高島第一保育園で昭和44年以来絵本を取り上げ、30年に亘る絵本の保育の歴史の中で研究し実践して積み重ねた伝統の一つのまとめとして、絵本の読み聞かせと言葉の関係について保護者や卒園児にアンケートをお願いして追跡調査などして、資料作りをお願いしているが、どんな調査結果になるか楽しみである。 よい絵本との出会いが子ども達の心にどんな影響を及ぼしているだろうか。それはどんな風に心の中で育っていくのか。よい言葉に出会うことで子ども達の言葉の世界がどれほど豊かになっていくのか。 今後もいろいろな角度で検討し、大切にしていきたい課題です。 |
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