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新しい時代のために
| 20世紀最後の年も余すところ半年となりました。 衆議院が解散して選挙も6月25日に投票が行われた。与党は安定多数を確保とはいうものの、内閣の支持率は低く、混迷の様相を呈している。 どんな時代の変革期にも、青年の情熱と行動が大きな変革のエネルギーとなってきた。明治維新しかり、戦後の日本もしかり。青年の情熱と力が時代の古い殻を破り、社会に活気が満ちていた。 しかし、この大きな変革の時代に、国を憂える若者の動きはなかなか見えてこない。これだけ問題が山積している矛盾一杯の世の中に政治の変革を呼びかける若者も見受けられない。変革を迫る若者の集団も組織されない。 逆に、青少年の犯罪は枚挙に暇が無い。その犯罪も悪質きわまりない、無意味で残虐な殺人事件が多く、少年達の心にも荒廃がすすんでいる現状には言うべき言葉もない。 このように若者が夢を持てなくなった日本に、本当に21世紀が訪れるのだろうか。 こんな時代はどこに原因があるのか、誰がこのような原因を作る要因となしたのだろうか。青少年をこのような暗い谷間に放り込んだのは誰の責任なのか。この根本的な反省なしに、文部省や学者と称する人々による教育改革を繰り返しても、成果どころか、さらに谷間の奥深く暗いところに子ども達を追いやるばかりである。青少年犯罪、学校崩壊、いじめや不登校の激増、高校生の中と退学の数は激増し、その責任を社会や家庭に押し付けて、学校教育の現場や教育行政に携わる人達が責任を取ることがない。そんな無責任な教育、無責任な教育行政が横行している。 新聞種になっている数々の事件で、学校長はもちろん、担任や教育行政に携わる者が責任をとった例は皆無に近い。 国は中学校までは義務教育と定めている。子どもを人質にとられて学校に思ったことも言えない、と感じる親も多い。その学校が、事件が起ると責任を転嫁して、事件には全く関係がない、いじめの事実はなかった、全く気がつかなかったなどと平気で言える今の教育行政の在り方は根本的に見直しをしてほしい課題である。保護者は学校を信頼し大切な我が子を託している。その期待に応えてほしい。 教育基本法は昭和22年に制定され、11条にわたる条文から成っている。 第4条(義務教育)「国民はその保護する子女に9年の義務教育を受けさせる義務を負う」 保護者は義務教育と称して、9年間の普通教育を受けさせる義務を負わされている。 学校でのさまざまな問題は大なり小なり学校当局は勿論、教育行政にも責任がある。その責任が充分に果たされていたなら今日のような悲惨な状況は起らない。 学校に預けているのは、大切な我が子である。学校崩壊が生じている教育現場で、誰がこの状況を打破するのか、今のように「しようがない」で済まして果たしてこの先どうなっていくのか。 そう考えて、私は平成7年に学校法人をつくり、吉備高原のびのび小学校を設立した。今は考え方の違う他の人が運営されており、設立当初の理念をどの程度実現しておられるのかは定かではないが、少しでも子ども達が息のつける場所となっていれば幸いである。 その当時で義務教育費に1人当り年間73万円の行政支出が必要とされていた。現在はさらに増額されているはずである。この莫大な税金が活用されるどころか、かつてないほど人生に夢を持てない、毎日楽しく過ごすこともなく、学校にも行きたくない子や、集団で弱い他の子をいじめたり、浮浪者などに平気で暴行を加えるような子ども達を年々増やすばかりとなっている。 誰が見ても嘆かわしい現状であるが、ましてや大切な我が子がこのような最悪の環境で被害を被っているのを見なければならない保護者の心痛は如何ばかりか、その苦しみは筆舌に尽くせない。 戦後アメリカの占領政策によって、日本の教育改革がなされた。当時の国定教科書は、占領政策に不都合な箇所を墨で塗りつぶし、それまで正しいと教えられてきたものが正しくないとされ、何を信じて何をすればいいのかもわからなくされた。骨抜きにされ、2度と立ち上がることができなくなるような政策が占領政策の骨子であった。当時の私達青年運動でもそのことは問題とされ、日本の将来を危惧してきたが、その危惧した以上のものが現実のものとなり今日現われてきている。 戦後始まった教育改革が、ここ10年乃至20年ほどの間に特に頻繁に行われているが、その度に内容が明らかに悪くなっています。原因は「アメリカ帰り」の有識者が力を持ちすぎているためです。 確かに科学技術や学術の面では、アメリカはトップ水準にあります。土地も資源も人口もあり、研究資金も潤沢で、しかもあらゆる民族から優秀な人材が流入しています。 そのため日本も「アメリカに学べ」をスローガンに走ってきました。官界や政界の権力者や有能な人材も多くがアメリカに留学しています。そして自分が学んだアメリカ式のシステムを日本に持ち込んで改革をしてきたわけです。 しかし、アメリカに学ぶとは、すべてアメリカの真似をすることではないはずです。良いところは真似、悪いところは改善し、自分達の現実にあった方法を見つけだすことだと思います。それが改革者は現場の実態を知らずに、アメリカがやっているから、というだけで真似をするのは先進的で賢いやり方とは言えません。 ましてやアメリカの教育の現状は日本以上に凄まじい壊滅状態と聞きます。そのアメリカの教育の後追いをすることは非常に危険です。 アメリカで音楽活動をしておられる松居和さんは、その著書の中で、アメリカの子ども達の置かれた危機的状況を述べられています。そして日本の教育はアメリカの教育の現状よりも数段良い、と言われ、それなのに日本がアメリカの追随をしている現状を強く憂慮しておられました。数年前にお会いしてお聞きした言葉が今も耳に残っています。 のびのび小学校設立には、文部省の個性化教育推進をした元文部官僚の先生に加わっていただいたが、アメリカ流の権利意識が全面に出て、私が目指している教育とは異なった価値観を目の当たりにし、その他にもいろいろな経緯の中で、教育への情熱よりは地位や権力への情熱の方が強いらしいことなど見てしまうと、そのような人が教育行政の中で一目置かれ、個性化教育の第一人者という、このような日本の現状は空恐ろしいものと言わざるを得ません。教育観が違うのであれば、話し合いもでき、お互いに向上することができますが、全く教育への思いがなく、子ども達の心も知らず、日本の将来への危惧もなく、ただ自分の権利と権力だけを追い求めるだけのその先生を見ると、文部官僚や教育行政に携わる人達にも不安を感じます。 いろいろな人に協力をお願いし、あちこちから借金して資金を集め、精一杯取り組んでやっと設立に漕ぎつけたのびのび小学校でしたが、このような人が小学校の職員や保護者を扇動し、また理事に加わっていただいていたのですが、理事会で自分の気に入らない決議をしたと、乱暴を働かれたり、立場や名声が必ずしもその人の人格の立派さを示すものではないという見事な実例を体験させていただきました。 このような人に牛耳られる小学校の子ども達の不幸を思い、できるだけの努力はしましたが、こちらも力が足らず、向こうとの折り合いもつかず、経営サイドの泥沼の争いをいつまでも子ども達に見せ続けるよりは、すっきりと身を引いた方が子ども達にとってもまだ幸せかもしれないと考えて小学校から全面的に手を引きました。 新聞で報道される以上の現実を見てしまい、今の子ども達が置かれている状況が予想を遥かに超えて深刻なこと、異常な事件も決して不思議な現象ではないこと、高い教育料でしたが、得難い経験と言えます。 社会全体がおかしくなっている今日、私達が本当にしっかりと考えていかなくては大きな不幸を招いてしまいます。そして教育というのが、どれほど意義があり、教育の現場が荒れていることが、どんな結果をもたらすかをよく考えていかなければなりません。 私にして見れば失敗に終わった小学校教育への挑戦ですが、それでも全国の教育を真剣に考える人達への一つの刺激となって、いろいろな試みがその後生まれてきたようです。このように失敗にも大切な意義があります。 皆さんが一生懸命考え、行動し、努力することは、決して無駄ではありません。ほんのささやかな試みでも、やり続けることで大きな力にもなります。 子ども達を大切に思う皆さん、教育を真剣に考える皆さん、日本の将来を思う皆さんと一緒に今の流れを変えていきたいと思っています。 |
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